今日も、前回に引き続き、格差社会について考えていきたいと思います。

格差社会とはそもそも何なのでしょうか?

それは、文字通り、貧富の差のある社会のことです。

一般的に自由経済の下では格差が広がり、統制経済は格差を許さない経済システムといえます。

日本では最近になって、格差ということが盛んにいわれるようになってきましたが、欧米では以前からいわれていることです。

むしろ、日本は自由主義経済の国としては貧富の差のない特殊な国家といえました。

それは、日本の経済運営が、自由主義経済というよりは、社会主義統制経済に近いものが多かったからです。

その最も顕著な例の1つが郵便貯金制度と簡易保険制度です。

国民の貯蓄を政府が管理するというのは、自由主義経済ではありえないことです。

本来なら民間部門で自由に流通するはずの資金が、政府の管理下で自由に流れないわけですから、経済の自由な発達もないわけです。

しかし、民間の金融機関と違って、運用の失敗などによる倒産はなく、預けていた資金がなくなってしまうことはありません。

自由主義経済ではありえない制度のもう一つの例が、金融業界の「護送船団方式」といわれたシステムです。

このシステムの下では、政府の行政指導のもとで、各金融機関は多くの規制を受けて経営を行う代わりに、

経営が悪化すると政府の指導によって他の機関と合併したり、他の機関からの援助を受けて、倒産することはないというシステムです。

つまり、このシステムも、預金者が一瞬にして預金を失うことのないシステムなのです。

しかし、このシステムの下では、あらゆる金融機関が横並びとなり、安定している代わりに際だった業績を納める機関もありませんでした。

そして現在では、この両方ともが存在しません。

国営の郵便貯金や簡易保険はご存じのように小泉改革で民営化されました。

また、護送船団方式は90年代後半の金融ビッグバンの際になくなり、行政指導は緩やかとなり各金融機関が自由裁量により経営を行うようになりました。

郵政改革に関してはこれまでもさんざん書いてきましたし、いろいろな場所でいわれていますから、ここで繰り返すことはしませんが、

この2つの例が示すのは、日本経済が自由主義経済の本来あるべき姿に近づいているということです。

と同時に、貧富の格差をなくしてきた日本独特の社会構造も失われて行ったというわけです。

よく小泉政権以降、貧富の差が激しくなったといわれますが、それは小泉改革が日本の経済の仕組みを自由主義経済に変えて、経済成長を目指す改革だったからです。

このことは、小泉政権の跡を継いだ安倍元首相が経済政策に関して、経済の拡大を目指すと公言していたことにはっきりと現れていました。

自由主義経済モデル以外の経済モデルでは、成長が見込めないことは歴史が証明していることですから、当然の帰結といえたと思います。

しかし、護送船団方式や国営の郵便貯金制度などは、政治家や官僚にとって金融機関と癒着して私腹を肥やしたり、郵便貯金で集まったお金を自由に使えるなどの利権が多く存在していたため、

小泉改革には根強い反対がありましたし、小泉氏に比べて与しやすしと思われた安倍氏は政権を潰されてしまいました。

そして、改革は中途半端な形で終わってしまい、貧富の格差の広がりという負の側面だけを残して、自由経済的な経済運営による経済成長という正の側面が現れないうちに幕を閉じてしまいました。

そして、中途半端に経済制度を戻しつつある現状となっているわけです。

これが、現在おかれている日本の状況だと思います。

貧富の差が広がり、その痛みと引き替えに手にするはずだった経済成長は達成できなかったのですから、国民が不満を持つのは当然のことです。

しかし、これだけが、今の日本社会の問題なのでしょうか?次回は、もう少し掘り下げてみたいと思います。