渋谷の文化村で開催中のロシア絵画の展覧会です。
個人的には、2018年に最も楽しめた展覧会でした。
全72作品と数は多くありませんが、
・風景画
・女性画
・子供
・肖像画
…と幅広いジャンルの作品を含む構成になっています。
19世紀ロシアで画壇に反旗を翻して一大勢力となった「移動展派」の画家の作品が勢ぞろいしています。
クリスマスイブまでは富士美術館(八王子)でもロシア国立美術館展が開催されていて、ロシア絵画が都内の2つの美術館で見られるという珍しい状態でした。
色調が明るく、画題にも暗さがない(例:虐げられる農民の生活を描いた絵などは皆無)ものが多いのがBunkamura、という印象です。
「ロマンティック・ロシア」というタイトル通り、やや甘さがあってムーディーな絵も多いので、カップルでご鑑賞されるにも適している印象です。
各ジャンルからマイハートを打ち抜いた(大げさ)絵をご紹介いたします。
【MY BEST】
イワン・クラムスコイ
178.8×135.2cm。
来場者に感嘆のため息をつかせている、あえかなる美貌の女性。
月の妖精のような透明な美しさですよね。
聖なる儀式でも始まりそうです。(妄想)
モデルとなった女性は、のちに、周期表作成の功績で有名なロシアの化学者メンドレーエフの妻になりました。
高校時代、化学で最初に『すいへーりーべー』と、語呂合わせで覚えたのを思い出しますね。
メンドレーエフの功績を讃え、101番目の人工元素は、『メンデレビウム』と名付けられました。
クラムスコイは19世紀ロシア移動展派の中心人物ですが、科学者とも親交があったんですね。
この時代、トルストイやドストエフスキーら小説家たちも、移動展派の画家たちと友人づきあいをしていました。
世の中って狭い。。。 .
ちなみに作曲家のムソルグスキーやピアニストのルビンシュタインもで、ルビンシュタインの肖像画は本展に出品されています。
とはいえ、モデルは彼女1人だけではなく、制作の終盤に、パトロンであるトレチャコフの弟セルゲイが、亡き妻の面影も入れて欲しいとリクエストしたそうです。
イワン・クラムスコイ
《忘れえぬ女》
1883年
本当は"unknown lady"《見知らぬ女》というタイトルなのに、日本では、いつのまにかこのタイトルで定着。
知らない女なのか、忘れられない女なのか…
相当大きな違いがあるような気もしますが…(笑)、まあよしということで。
当時も今も、レフ・トルストイの長編小説のヒロインで、青年将校との道ならぬ恋で破滅したアンナ・カレーニナがモデルではないかと噂されています。
ロマンのある説ですが、専門家からは、ほぼありえないと言われています。
でも、もしかしたら? と人々にいつまでも思わせる、翳りのある意味深な美貌。
この時代、女性が一人で馬車に乗り、かつ幌(ほろ)を下げているなんて、珍しい…というよりも、とてもはしたない行いです。
そのため、その筋の女性ではないかという説もあります。
こちらを見下すような挑発的な瞳でこちらを見ていますが、実は瞳にはうっすら涙が。
彼女は、当時の封建的な社会に挑んでいるのだとの指摘もあります。
もう8回目の来日だそうです。
展覧会のメインビジュアルに使われている作品でもあります。
キャッチコピーは、[また お会いできますね]。
こちらこそ、美しいあなたにまたお目にかかれて嬉しい限り。
ロシアの子どもは妖精のようで本当に愛くるしいですよね。
歳をとってから倍以上の幅に変身(?)してしまうのが信じられないくらいです。
なんとなくベルト・モリゾの描く子供とも似ていませんか。フランス印象派の影響が感じられます。
ちなみに、女流画家さんです。
「Olga」はロシア・ベラルーシ・ウクライナ近辺で多い女性の名前で、ひと昔前の日本でいう「花子」さん並みによくいます。
キャリアの後期には、ゴーギャンのような強い色彩で、象徴主義に近い絵を描くようになってゆきました。
矢車菊(Cornflower)で花冠をつくろうとしているようですね。
ロシアでは、矢車菊はメジャーな花で、矢車菊のみで小さなブーケにしてよく売られているそうです。きっと身近に生えている花なんでしょう。
東京外語大・ロシア語学科卒でロシアへの留学経験もある「ロシアナ(=ロシア×アナウンサー)」
いちのへ友里さんのブログ 記事はこちら でも取り上げられていました。
ドイツや旧ソ連・エストニア共和国の国花ですが、ベラルーシやウクライナで切手のデザインに使われているのも発見しました。
(注:本展覧会には出品されていません)
出典:Wiki
紫がかったあざやかな青が、画面に映えますよね。
女の子の髪飾りの色とも合っています。
現在でいうリトアニア生まれのユダヤ系画家、イサーク・レヴィタン(1860-1900)も矢車菊をモチーフに使ったことがあります。
(注:この絵は出品されていません)
*
順番は逆になりましたが、中盤から後半にかけて展示されたロシア美人(美少女)たちを先にご紹介しました。
続いて、展覧会冒頭に並ぶ、ロシアの自然を描いた風景画・静物画から何点か、ご紹介します。
さて、上述のレヴィタンの作品が「春」のコーナーに2点出品されています。
そのうちの1つが↓です。
イサーク・イリイチ・レヴィタン
≪森の小花と勿忘草≫
1889年
レヴィタンは「桜の園」で日本でも有名な文豪チェーホフの親友でした。
詩情あふれる風景画の作者として、ロシアでは尊敬されています。
余談ですが、プレイボーイとしても有名だったようです。
チェーホフの妹は彼に恋心を持っていて、レヴィタンも一度は求婚したようですが、彼女は断ったとか。
医師としても作家としても名声を得たチェーホフも(作品を読む限り)モテたようですから、二人で歩くと大変そうな。
若き日のレヴィタン
画家というより気難しい文学青年ぽい。
夏
ロシアの夏ってあまりイメージが湧きませんよね。
私は北海道のように夏でも涼しいのかな? くらいに考えていました。
しかし、最近では、大規模な山火事が発生したり、むしろ酷暑が厳しいこともあります。
首都モスクワでも35度以上が続いたこともあるようですね。
冬は極寒(-40度の日も)、夏は灼熱…まこと厳しい生存環境です。
そんな厳しい環境で生きるロシア人の心象風景を描いたかのような、神秘的な作品を見つけました。
Konstantin Yakovlevich Kryzhitsky
コンスタンチン・ヤーコヴレヴィチ・クルイジツキー
≪月明かりの僧房≫
ウクライナ生まれの風景画家で、この絵も現ウクライナの首都・キエフ近郊で描かれました。
軒下に、聖職者の姿が見えます。
画面が暗くてわかりにくいですが、脇に立つ巡礼者と語り合っています。
長く伸びた影。
高くそびえるポプラの木々。
古びた礼拝堂(…というにはだいぶん粗末ですが…)。
近くにはどんな人が住んでいるのか?
聖職者の家族は?
二人はどんな話をしているのだろう? 巡礼者の懺悔を聞いている?
素朴な農村の光景が、月光に照らされて暗い画面に浮かび上がり、
鑑賞者の想像をかきたてますね。
黄金の秋。
短い夏が終わり冬将軍が訪れる前、一瞬、華やかな秋が訪れます。
グリゴーリー・ミャソエードフ
《秋の朝》
1893年
油彩・キャンヴァス
誰もがポエマーになってしまいそうな抒情的な光景です。
Ivan Goryushkin-Sorokopudov
イワン=ソロコプドフ
≪落葉≫
1900年代
地味ながら、惹きつけられたのがこの作品。
色合いが暗いですけれども、装飾モチーフ化された女性、なんだかミュシャを思い起こさせました。
実物はもっと赤っぽいです。
まだ著者の死後70年経っていないので、著作権が有効です。
画像がアップロードできないので、リンクでご紹介しますね。
画像は↓
「枯葉(仏題:Les Feuilles mortes )」を聞きながら、メランコリックな気持ちに浸りたい作品です。
この画家の作品をまとめた映像がYoutubeに投稿されていました。
≪落葉≫は4:00から4:15まで。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=shbF-H7YouQ
そしてロシアの大地を長く支配する冬。
しかし、まっこと暗くて重い季節にも、美しさを見出すのがロシア人です。
ワシーリー・バクシェーエフ
《樹氷》
1900年
油彩・キャンヴァス
雪国の方に聞いたところ、光を浴びた雪が少しピンクがかって描かれているところがリアルだそうです。
じゅ‐ひょう【樹氷】とは、 氷点以下に冷却した霧が冷えた樹枝などに凍りついたもので、-5℃以下の気温のとき風のあたるほうに大きく成長します。
日本でも、宮城県・山形県境の蔵王山の冬季の樹氷は有名です。(…といっても私はちゃんと見たことがないのですが…)
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北海道大学の学生寮の寮歌の一つ
「都ぞ弥生(みやこぞやよい)」にも、
「~中略~樹氷咲く 壮麗の地をここに見よ 」という歌詞があり、
樹氷が歌詞に出てくるようなので、北海道でもよく見られる現象なんでしょうね。
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その他、モスクワを描いた風景画や肖像画などもあります。
クオリティーの割に、土日祝日もそれほど混雑しておらず、快適に鑑賞できます。
お勧めです。
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特筆すべきは、オーディオガイド内容のセンスのよさでした。
ロシアの作曲家が作曲した曲が複数紹介されていて、
目からだけでなく、耳からも鑑賞者をロシア芸術の虜(とりこ)にさせてしまおうという、にくい心意気が感じられました。
帰宅中に電車で、Youtubeにアクセスしてロシア関連曲を聞きあさってしまいました。
営業妨害になってしまいますのでオーディオガイド中の曲名は書きませんが、
個人的に、是非聴いていただきたいロシア曲がありますので、別件をご紹介。
アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)作曲の≪ノクターン(夜想曲)≫です。
当時のロシアでは「自国よりも先進的な」西洋文明を導入することに王侯や貴族たちは必死でした。
当然音楽でも西欧のものが一流とされました。
ボロディンは、そんなご時世に、ロシアの民族性を反映した「ロシアらしい」音楽を作曲しようとした「ロシア5人組」の一人です。
とはいっても本業は医師(&生化学研究者)で、作曲はあくまで”趣味”でした。
本業で成功しており、そんなに多くの作品は残していませんが、序曲「ポロヴェツ人(韃靼(だったん)人)の踊り」(第2幕)を含むオペラ「イーゴリ公」が現代でも有名です。
サンクトペテルブルク大学医学部(生化学専攻)の教授になり、生涯、有機化学の研究家として多大な業績を残しました。
前述の化学者メンドレーエフともお知りあいです。
週末だけ作曲をするので「日曜作曲家」と自ら名乗っていました。
……凡人からするとちょっと厭味な存在ですよね(笑)。
それはともかく、美しく繊細なメロディーがお気に入りです。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=uTtyBJTstVk
ちなみに、≪忘れえぬ女≫は、19世紀に生まれたロシアの歌・「黒い瞳」(ロシア語: Очи чёрные、オーチ・チョールヌィエ)をバックグラウンドミュージックとして聞きながら見るとぴったりです。
タイトルの「黒い瞳」という言葉はここではロマ(ジプシー)の女性の煽情的な魅力の象徴として用いられており、その魅力に取り憑かれた男性の苦悩と激情がこの歌の主題です。
旋律もロマの音楽に特徴的なハンガリー音階に基づいていて、ロシアのジプシー歌謡を代表する曲として親しまれています。
ロシアの歌とは言っても、正確には、ウクライナの作家/詩人のイェウヘーン・フレビーンカが詩を発表し、ロシアに帰化したドイツ人・С. ゲルデリがフローリアン・ヘルマン作曲のワルツ「Hommage」(オマージュ)にあてはめたものです。
バス歌手のフョードル・シャリアピンが詩を書き足してレパートリーに加え、革命後の1922年に出国し、事実上の亡命者となってから、世界各地の公演で披露し、世界的に有名な歌になりました。
【美術展情報】
国立トレチャコフ美術館所蔵品展
ロマンティックロシア
会場:BUNKAMURAミュージアム (渋谷)
会期:2018/11/23-2019/1/2
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_russia/
2019/1/8 2:53最終更新