松浦氏は、147cmと小柄でしたが、とても健脚で、1日に60‐70キロも歩いたそうです。

人生で富士山に3回登頂し、晩年でも1日で登頂できたという逸話もあります。

大人しそうな外見からは想像もつかないパワフルさ。

 

氏は、27歳から40歳までの間に北海道を6回探検し、サハリンなど、今でいう北方領土のエリアまでくまなく歩きました。

 

当初は自費で探検していたものの、幕末に活躍し明治政府の中核メンバーになった薩摩の大久保利通に認められ、開拓部門の責任者・任開拓判官に一時期就任し、従五位に叙されました。

蝦夷と呼ばれていた当地を「北加伊道(北海道)」と命名したのも彼です。

 

北海道の内陸部にくわしい地図も初めて制作。

それまでに伊能忠敬らによる地図がありましたが、海岸線については詳細に調べていたものの、内陸部については、アイヌとの連携がなかったため情報不十分でした。

 

アイヌ語が堪能で、アイヌと行動を共にした松浦は、内陸部についても調査が可能でした。

 

その歴史的に貴重な地図が、タイルをくりぬいて、ほぼ原寸大でプリント展示されてあります。

必見です。

 

また、専門家向けの紀行文だけでなく一般向けのイラスト入りのわかりやすい北海道紹介書籍も発行しました。

 

 

左:『十勝日誌』1861

右:『後方羊締(しりべし)日誌』1861

 

 

『知床日誌』1863

これらのイラストは松浦のスケッチに基づいて、当時人気のあった画家が描いたものです。

 

 

松浦氏の先人たちの成果もあります。

 

 

『蝦夷方言藻塩草』上原熊次郎編/江戸時代・文化元年(1804)序刊

 

アイヌ語の辞書。上原は松前藩の蝦夷通詞(通訳)で、一時ロシア語の通訳を務めたことも。

 

 

 

『蝦夷志』新井白石撰/江戸時代後期写

 

日本初の本格的な蝦夷地の地誌で、同地研究の先駆的著作です。

新井白石は徳川六代、七代将軍に仕えた政治家で、自らは現地調査には行っていないので、多方面からの調査結果をまとめたものです。

 

明治政府の方針は、アイヌ人を倭人に同化させるというもので、圧政を敷き、ときには目を覆うような残虐な行為も行われました。そうした松前藩の行為を告発した松浦は、藩から命を狙われることになります。

 

政府の役職を結局1年で退職し、以降は、コレクターとしての人生を歩みました。

 

落款として「馬角斎(ばかくさい)」を使用。

これは、政府の人権侵害的な政策が馬鹿臭い、愚か極まりないという批判、そして、そうした政策を自分1人では中止させる力がない自分について不甲斐ない、という意味が込められていたという説があるそうです。

 

探検のうち、1ー2回目は松前藩の医師や商人の下男に扮して調査を行いましたが、3回目以降は幕府のお雇いになって費用を出してもらっていました。

 

彼は、16歳で三重県松阪市にある実家から家出し、江戸にでてきました。

運悪く知人に見つかってしまいすぐに連れ戻されますが、1年後、本格的に家出をしました。

その後10年近く日本各地を放浪。

 

旅費は、篆刻をして稼いだり、いわゆる日雇い労働をしたり。

ときには野宿をすることもあったそうです。

彼の冒険を支えていたのは、とにかく世界を知りたい、という強い好奇心です。

 

幕末にロシアが蝦夷を狙って南下してきているとの噂を聞き、強い危機感を感じ、下男に身をやつして松前藩に侵入しました。

当時の松前藩は、非常に入出国が厳しく、通常の旅行者としては藩に入ることができなかったのです。

 

「今でこそ、民族平等の思想は一般にも広く普及していますが、当時は”上からの”目線でアイヌ民族を下に見ることがいわば当然の時代。

松浦のアイヌ目線での行動は、ヒューマニズムを独自に身に付けていたとして高く評価されて良い」

と館長・河野元昭氏のご指摘。

 

松浦氏の調査結果は丹念に分類、整理され、後世に遺すことを強く意識して保存されています。

こうした姿勢は、今でいう国立博物館構想につながるのではないか、と担当司書の方から。

 

この徹底した分類、整理ぶりは博物学の域に達していて、

好きだから、マニアだからという自分の知的好奇心を満たすためだけのレベルを超えているとも。

 

ビジュアル的には地味ですが、歴史的に貴重な資料が見られますので、歴史好き(とくに幕末明治)の方にオススメです。

 

 

おまけ 何故か鈴のコレクション。お好きだったようです。

 

 

来年春には、松本潤さんが武四郎役で、ドラマ化されるとのこと。

深田恭子さんがアイヌ人女性役で出演なさるようです。

 

ここで松浦当時64歳の写真を確認しましょう。

 

写真嫌いで、唯一残っている肖像写真とのこと。

勾玉の首飾りはなんと3kg

 

小柄で優しそうな表情で写っています。

生誕200年経ってから、松本さんのようなはなやかなシティボーイ(死語)が、自分のことを演じるなんて

さぞや驚いていらっしゃることでしょう(苦笑)。

 

すでに、三重県松阪市にある松浦武四郎記念館には、髷を結った松本さんの「まげじゅん」パネルが飾ってあるそうです。

 

歴史に興味を持つ若い女性が増えそうですね(笑)。

 

内覧会のため写真撮影が特別に許可されています

 

 

 

【展覧会情報】

幕末の北方探検家 松浦武四郎展

静嘉堂文庫美術館

会期:2018年9月24日(月・祝)~12月9日(日)
休館日:月曜日(但し、9月24日・10月8日は開館)、10月9日(火)
開館時間:午前10時~午後4時30分(入場は午後4時まで)