最終更新:2018年9月29日16:30

 

家族をモティーフにした温かい絵で知られる

スウェーデンの国民的画家カール・ラーション(1853~1919)展 の内覧会に参加してきました。

 

【ギャラリートーク】

ラーション家の血を引くオスカー・ヌードストロームさん(カール・ラーション家族会会長)

「カーリンの命名日のお祝い」1899

 

ラーションは、労働者階級から画家になり、挿絵を描いていた時期も長くありました。

 

童話やおとぎ話にあいそうなメルヘンな画風です。

 

彼の画集は、ドイツなど他国でも翻訳出版されて、たいへん人気を博しました。

 

本展では、ラーションの絵画や画集、彼が挿絵を担当した本のほか、夫妻がデザインした家具や

妻カーリンのテキスタイルなどを展示しています。

 

(公共建築の壁画なども手がけましたが、本展では家庭的な小品にテーマをしぼっているようです。)

 

リッラ・ヒュットネース、

家族、

日本への愛、

妻カーリンの芸術性

が本展でのラーションをよく表すキーワードです。

 

 

■リッラ・ヒュットネース

 

ラーションは、35歳のとき、ダーラナ地方スンドボーンに「リッラ・ヒュットネース」と呼ばれる家を譲り受け、のちに首都ストックホルムから移住しました。

もともとは彼の義父が購入したものでしたが、住む予定だった義母たちが相次いで他界し、ラーション一家が住むことになりました。

一度は画家を目指した妻カーリンとともに、彼はそこを理想の家へと改装していきました。

 

この家のインテリアは、現代スウェーデンのモダン・インテリアにも影響を与えているといわれています。

 

リッラ・ヒュットネース」は現在、カール・ラーション・ゴーデン(記念館)として一般公開されています。

 

本イベントでは、来日したカール・ラーション・ゴーデン記念館館長キア・ジョンソンさんなど、ラーションの第一人者であるみなさまが主要作品を解説してくださいました。

 

 

■家族

 

画集『わたしの家』1899年刊行

スウェーデン国立博物館、ストックホルム

 

挿絵の仕事をうけおってきた出版社から、リッラ・ヒュットネースでの生活を描いた水彩画30点弱を、画集として出版。

左:ザリガニ捕り

ラーション一家のザリガニ・パーティー。

スウェーデン発祥のイベントだそうです。ロシアなどでもザリガニを食す文化はあるようですね。

 

右:扉絵

四女チェシュティが厳冬のリッラ・ヒュットネースの正面に立つ。

その後、新しいアトリエが増築されてこの家は変化し、この図の家はもうありません。

貴重な一枚です。

 

左上:「窓辺の花」

長女スザンヌが居間の南側にある大きな窓の手前に並べられた花に水をあげています。

 

右下:「お仕置き、片隅で」

息子ポンテュスが食卓で生意気な態度を取ったため、居間においはらわれてしょんぼり座る様子。

 

彼の作品には、子どもたちや妻が頻繁に登場します。画集のモチーフはいつも家族でした。

画家にとってもっとも身近な存在である、自分の家族、一家のあり方を描き、北欧の家族中心のライフスタイルを体現したといってもよいでしょう。

 

出版の年に、大きなアトリエを増築します。

 

 

 

■日本への愛

 

ラーションは、「日本は芸術家としての私の故郷である」と自著『わたしの家族』で述べたほど、

日本の芸術を高く評価していました。

 

フランスのグレーに滞在していた頃からジャポニスムに関心があったようです。

(グレーには、明治に黒田清輝や浅井忠も滞在。「日本近代洋画の聖地」として多くの日本人画家たちが来訪しました。)

 

彼が持っていたという日本人形や、歌川国貞の作品も出品されていました。

 

 

■妻・カーリンの作品

 

ラーションの妻、7人の子供たちを育てたカーリンは、育児・家事の合間に、テキスタイル制作や家具などのデザインに精力的に励みました。

 

 

カーリン・ラーション

右:青い飾りのテーブルクロス(複製)

 

 

もとは画家志望で、少女時代には、文化的な両親から美術学校に進むことを許可されて王立美術学校の教授のアトリエに入門しました。

 

とても進歩的なご家庭ですね。

 

ラーションとの出会いはストックホルムでしたが、

フランスに留学した際に、避暑に滞在していた芸術家村・グレーで彼と再会。

当地で親しくなり、求婚されて結婚。

 

結婚後は家庭に忙しく、カーリンが各国を飛びまわる「遍歴の画家」生活を送ったこともあって、彼女の制作は進まず、モデルとして、ときには批評家として、ラーションを理解し、支えます。

 

スンドボーンに家族が定住してからは、自分の制作にもエネルギーを注げるようになりました。

 

 

左:『鳥と薔薇と両手のデザイン画』

右:『ユール(クリスマス)』誌表紙

 

 

カーリンの作品は生前にはあまり知られず、1960年代の出版物ではじめて世間の注目を集めるようになったのです。

「画家の妻」でなく、「アーティスト」としてのカーリンの顔です。

 

彼女が現代を生きていたら、どんな風にキャリアを築いていたでしょうか?

 

現代の北欧では、女性の社会進出が進み、イクメン、男性より女性の方が社会的成功を収めているカップルも数多いとは聞きますが…。ラーション氏の女性観はあくまで伝統的のようです。

 

彼らの活躍時期は、日本では、ちょうど明治時代にあたります。

 

当時(19世紀末ー20世紀初)の社会背景をいろいろ考えてしまいます。

 

 

ラーションが挿絵を描いた『軍医物語』

 

 

IKEA協力のインテリアコーナー

 

 

参考文献:『カール・ラーション-スウェーデンの暮らしと愛の情景ー』東京美術

 

 

日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念

カール・ラーション

スウェーデンの暮らしを芸術に変えた画家

会期:2018年9月22日(土)~12月24日(月・休)
月曜日休(10月1日、8日、12月24日は開館)
会場:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
〒160-8338 新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン日本興亜本社ビル42階
開館時間:午前10時-午後6時(10月3日(水)、26日(金)、12月18日(火)~23日(日)は午後7時まで)
※入館は閉館30分前まで
https://www.sjnk-museum.org/program/5469.html