3連休もとうとう三日目ですね。
昨日日曜は、六義園近くの東洋文庫でロマノフ王朝展関連イベントに参加して参りました。
ロシア文学研究者である沼野恭子先生(東京外国語大学教授)のご講演。
絵画、建築、フィギュアスケート、バレエ、文学、民族衣装…。
ロシア芸術全般をこよなく愛する私にとって、数少ないロシア関連の展覧会や講演会は、貴重な楽しみです。
(エルミタージュ美術館展、始まりましたね!早く行きたくてたまりません。
が、楽しみは一度にまとめて味わうのでなく、分散させないと…)
以下、講演のメモと私の雑感などを記しておきたいと思います。
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ご講演のポイントは以下の2点でした。
(1)仏風ライフスタイルを送る大都市の貴族vs
ロシア古来の文化が色濃い地方地主や農民 という文化の二重構造があった
(2)領土拡張にともない新しい文化を吸収してきたロシアにとって、
今なお“東”=アジアvs”西”ヨーロッパ
という自国のアイデンティティーのせめぎあいがある
絵画に描かれた女性の服装から当時のファッション・トレンドを分析する箇所は
とりわけ楽しく拝聴しました。
講演中、引用されていたロラン・バルトの言葉をご紹介したいと思います。
「何世紀にもわたって、社会階級の数と同じ数の衣服が存在した。
一つ一つの身分にそれぞれの衣服があり、身なりは何の支障もなく真の記号の役割をはたしていた」
『ロラン・バルトモード論集』山田登世子編訳、筑摩書房、2011年、36頁
ファッションとは着る人の階級をあらわす記号だということですね。
見て楽しむだけでなく、当時の社会を読み解くこともできるのが楽しいですね。
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ヨーロッパ、特にフランス社交界のファッションを追いかける傾向が、都市部の王侯貴族に顕著にみられます。
18世紀:コルセットや横に大きく膨らんだスカートが特徴的。
まずは、女帝たちのファッションから。
・18世紀中葉:エリザヴェータ女帝
大変なお洒落で、最新のフランスファッションに敏感。湯水のように服飾に出費をした統治者としても有名。
一日に何度も着替えをし、同じ服は二度と身につけないポリシーの持ち主だったそう。
同じ髪型・服の女性貴族などを見つけると激怒し、即、着替えさせたという。なんと自分と同じ服を着ることを禁止する法令まで作ってしまったとか。
・18世紀後半:エカテリーナ二世
ウィギリウス・エリクセン(Vigilius Eriksen)《戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像》
ちなみに、スカートは、臣下たちが彼女に触れる時にぶつからず接近できるよう、縦(三次元)には膨らませず、横にのみ膨らんでいることがポイント。
↓ その後の流行は…
1800~25年頃:下着のような「シュミーズ・ドレス」が流行
25年以降:再びコルセットが社交界を席巻
1850年代:クルノリンスカート登場
世紀末以降:バストとヒップを強調したS字型シルエット登場
・ナターリヤ・プーシキナ(1812-1863)の肖像
詩人プーシキンの妻。絶世の美女として名高い。
むかし、子供心に、お姫様のような人だなと憧れたものです。
・イワン・クラムスコイ(Ivan Nikolaevich Kramskoi)
『忘れえぬ人(直訳は『見知らぬ女』)』1883、トレチャコフ美術館
渋谷Bunkamura美術館での展覧会「忘れえぬロシア展(2009)」など、何度も来日している作品なので、ご記憶にある方も多いと思います。
大好きな作品です!
当時最先端のファッションに身を包み、物憂げでありながらどこか挑発的な眼差しを鑑賞者に向ける…印象的な美女ですよね。
当時、モデルは誰なのか、論争が起きたそうです。
高級娼婦がモデルだという見解が主流なようですが、個人的にはアンナ・カレーニナはこんな女性だったんじゃないかな、なんて夢想(妄想)しています。
・コンスタンチン・マコフスキー (Konstantin Yegorovich Makovsky)『蜜酒の杯』 1890年
華やか!
コルセットをつけず、ウェストを絞めつけない、ロシア伝統スタイルの衣装。
髪には美しいココーシニク(頭飾り)。広がった袖のデザインも可愛らしい。
地方豪族は、貴族よりは農民に近いファッション(生地は 比べようもなく豪華ですが)を身につけていたことが分かります。
繊細なレース、整った顔立ち、どことなく哀愁が漂う美少女…うっとりしてしまいます。
弟ウラジーミルも画家で、兄弟揃ってクラムスコイが率いた「移動展派」の創設者メンバー。
弟が、民衆を題材とした社会性のある絵を描いたのに対し、
兄コンスタンチンは、いわゆる美人画で有名。ロシア伝統的な衣装を着た女性の作品を沢山描いていて、彼の作品を見ていると、当時の女性たちが華やかにおめかししていた姿が目に浮かんでくるようです。
・ワレンチン・セローフ(Valentin Alexandrovich Serov)
『ジナイーダ・ユスーポワの肖像』1902
『オルロワ公爵夫人の肖像』1911、ロシア美術館
ヨーロッパ的な貴族女性の肖像画二枚。さすがの優美さです。
公爵夫人は大変に見目麗しい女性ですが、セローフは彼女を気取った人物として嫌っていたそうで、絵の中でも、彼女に人さし指で自分を指すポーズを取らせ、自己顕示欲が強い人間であることをほのめかしています。
表情柔らかで優しそうなユスポワ夫人と違って、ツンとしていますよね。笑
・イリヤ・レーピン(Ilya Yefimovich Repin)
「ピアニスト、ソフィア・ヨシフォヴナ・メンテルの肖像」1887
メンテル(1846‐1918)はドイツのピアニスト、作曲家、教育者。
この絵は、彼女がペテルブルク音楽院の教授も務めていた頃に描かれたもの。
19世紀、女性たちが職業を持つようになってきた時代を象徴するように、堂々とした佇まいの女性ですね。自信にあふれ、現代でいえば、バリバリのキャリアウーマン然でしょうか。
・アレクセイ・ヴェネツィアーノフ(Alexey Gavrilovich Venetsianov)『鎌と熊手を持つ農婦(ペラゲーヤ))』1824、ロシア美術館
ヴェネツィアーノフは、農村の素朴な生活をモティーフに描いた画家。
『耕地にて、春』1820年代前半、トレチャコフ美術館
子供が愛くるしい。観賞者のまなざしも自然と優しくなるようです。
白いルバシカ(ブラウス)+赤いサラファン(ハイウェストのジャンパースカート)
ここにも、ストンとした ロシア的なシルエットが見られます。
健康的で可愛いと思います。
締め付けていると食事も美味しく取れませんし。息苦しくて、労働はとても無理ですよね。笑
この作品だけ、絵画でなく小説。
・プーシキン『百姓令嬢』(作品集『ベールキン物語』所収)
農民の娘ナースチャと令嬢リーザが入れ替わるという、少女漫画的な物語。
リーザがルバーシカとサラファンを着て農民の娘のふりをすると、貴族の子息アレクセイはまるで気づかない。
若干、ほんまかいな? と突っ込みを入れたくなってしまいますが……
ここで、ルバーシカとサラファンが農民をあらわす「記号」として使われていることがわかります。
・ボリス・クストージェフ(Boris Mikhaylovich Kustodiev)『商人の妻』1919
階級の分化が起こり、貴族と農民以外にも、商人など“雑階級”といわれる新しい階級が登場。しだいに服装も多様に。
・ニコライ・ヤロシェンコ(Nikolai Alexandrovich Yaroshenko)
『専門学校の女学生』1883
スカート丈が短く、装飾もない(ショールにはチェック柄が入ってはいますが…)シンプルなモノトーンの組み合わせ。
落ち着いたコーディネイトですね。
小脇に本をかかえ、いかにも勉強熱心な女性という感じです。知識を得て自立しようとする女性の、動きやすさを重視したスタイルが見て取れます。
今回ご紹介した作品中、唯一、現代日本でも見かけそうな恰好(帽子以外)です。笑
20世紀初頭に入り、一流のバレエダンサーを集めてヨーロッパを巡業した「バレエ・リュス」は、舞踏だけでなく、舞台衣装の革新性でも注目を浴びました。
この頃になると、パリで活躍していたデザイナー ポール・ポワレ(Paul Poiret)が1906年にコルセットからの解放を宣言するなど、動きやすい服装が浸透してきます。
ちなみに彼は、1903年、袖のないマント型の「キモノ・コート」を発表。
19世紀から20世紀にかけ、ヨーロッパ全体で東洋への関心が高まったことに伴って、彼も着物に着想を得ることが多々あったようで、そのほかアシンメトリー(左右非対称)の衣装を制作するなど日本の服飾の要素を取り入れています。
この時代、1904~5年にかけての日露戦争を契機に、ロシアでも(フランスよりだいぶ遅れてですが)ジャポニスムの傾向が見られました。
…と、その後、
1917年のロシア革命によって、二重構造の平準化または解消が起こり、貴族と農民間の文化の相違は小さくなりましたが、ソ連崩壊、再び経済格差は拡大しています。
今後、食やファッションにおける格差はどうなってゆくのか…。
――ということで講演は結びとなりました。
ファッションのパートだけで十二分に長くなってしまいました。。
料理・食文化については、都内ロシア料理店の忘備録なども兼ねて、後日講演内容メモ+αをアップしたいと思います。