何と1年以上も続きを書いていなかったのね~~
小学6年生で祖母と父と共に3日間の初級研修を受け、正式な崇教真光の信者になったのだった。
正式の信者となると御み霊(おみたま)というペンダントを授与される。 この御み霊を通じて神の力を得て、全ての不幸の原因となる霊障(れいしょう・様々な霊の憑依によって起こる災いの元)を解消する、神組み手となる。
この御み霊は金色のもので、初級・中級・上級
と級が上がるにつれて、大きくなる。(中には紙が入っているだけらしいのだが・・)
鎖や(私は子どもだったので)リリアンみたいな紐をつけ、常時身につけなければならない。
直に肌に触れぬようラップで包み、ガーゼで作った小さな袋に入れ、飛び出さぬよう安全ピンで下着に留めておく。
例えば水泳の授業のように、身から離さなければならない時は、足の届かぬ位置に、半紙等を引いてその上にのせる。
人に見られぬように、素早く置くのも身につけるのもなかなか大変だった。落としたら大変で、幹部に連絡し、お浄め(←手かざしの業のこと)をしてもらわなくてはならない。
当時は素直に守っていたが、なかなか厄介なものなのである。
崇教真光は他の新興宗教と同じく、様々な宗教の 良いとこ取り、エッセンスを集めたような感じの教えを持つ。
ベースにあるのは、某ちゃん曰わくキリスト教である。未だに、チラシ(←よくポスティングされている・今でも“陽光ライフ”という題名だ)やパンフレットにはキリスト教もイスラム教も肯定した文面がある。
各宗教の元になる教えであるというスタンスだ。
不幸の大元である霊障を手かざしの業で解消し、利他愛(自分を愛するような他者への愛)を持ち、世界平和を目指す、というのが根本的な教えである。
この利他愛というのが、右の頬を打たれたら左の頬を差し出すというキリスト教の教義から派生したものではなかろうかと思う。
根本的に眼には眼を、という感覚を持つ私(笑)にとって、本性と相反する教えを守らなければならなくなった。
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