様々な美容法を駆使して
美肌と美貌を輝かせたといわれる
エジプト女王、クレオパトラですが、

世界三大美人とか
毒蛇を使って自殺したとかは
有名ですが、
実際いつ、どこの誰?とは
分かってもらえていない場合も。

クレオパトラといっても、
有名なこの方は7世。

他にも6人のクレオパトラが
いました。

彼女はプトレマイオス朝エジプト
最後の女王です。

このプトレマイオス朝とは
ピラミッドを作った
古代エジプト文明とは
別物です。

古代エジプトは、紀元前3世紀の
軍事の天才、
マケドニアのアレキサンダー大王に
征服されて
その歴史を終えています。

アレキサンダーは遠征途中に
若くして亡くなり、
後継者を決めずに

「強きものがあとを継げ」

と、一見かっこいい無責任な言葉を
遺したので、
後継者争いが起こります。

結局アレキサンダー大王の帝国は
分裂することになり、
彼の盟友プトレマイオスが
エジプトを支配し、
王朝を立てます。

なので、プトレマイオス朝は
ギリシャ系というか 
マケドニア人による王朝なのです。

支配者層は 
ギリシャ系の人々、
被支配層の
エジプト語を話せたのは
クレオパトラのみとも。

プトレマイオス朝の
首都は、アレキサンドリア。

広大な図書館があり、
ロゼッタストーンが作られ
華麗なるヘレニズム時代は
この頃です。

この図書館はカエサル(シーザー)が
焼き、
ローマ帝国に潰されたとありますが、  
古代の叡智が残されていれば 
人類の発展は数世紀進んだだろうと
言われています。

さて。
ローマ帝国の勢力が高まり
徐々に衰退していく
エジプト、

18歳のクレオパトラは
8歳年下の弟と結婚し

(高貴な血筋を守るため
王家ではきょうだい間の結婚が普通)

共同統治者となります。

クレオパトラは、
エジプトが生き残るためには
ローマと敵対するのではなく、 
手を結ぶべきと考えていました。

しかし、弟とその一派は、
反対で、彼らにより
クレオパトラは追放されてしまいます。

そんな折に、
ローマの将軍ユリウス・カエサル、
別名ジュリアス・シーザーが
やってきます。

クレオパトラは彼に会うために 
絨毯に巻かれ、
贈り物、として彼の前に 
現れます。

数カ国を駆使し、機転が利き、
若く美しく彼女に、カエサルは
魅了されます。

カエサルの愛人となった
クレオパトラは、
弟を亡き者にし、
もうひとりの弟と結婚して、
共同統治者となります。

カエサルはローマの独裁者となり、
クレオパトラは彼との間の息子、
カエサリオンを連れて
ローマに滞在します。

しかし、お前もかー、のプルータスらに
カエサルは暗殺されてしまいます。

クレオパトラはエジプトに戻り、
弟を殺して息子を
共同統治者とします。

カエサルの後釜を狙うのは、
養子オクタウィアヌスと
腹心アントニウス。

クレオパトラはアントニウスを
陥落させ、
彼との間には男女の双子と
もうひとり男の子が生まれます。

オクタウィアヌスに勝ち、
ローマを我が手におさめようと
した二人でしたが、
戦いに敗れます。

ちなみにオクタウィアヌスは
別名アウグストゥス。
8月生まれで、Augustは
この方のお名前から。

アントニウスは自害し、
クレオパトラも伝説では
毒蛇に足を噛ませて
自らの命を絶ちます。

カエサリオンも殺され、
ここにプトレマイオス朝エジプトの
歴史は終わります。

アントニウスとの子どもたちに
ついては、
男児たちについては諸説ありますが、
(殺された殺されなかった)
双子の女児の
クレオパトラ・セレネについては
成人して
現在のアルジェリアあたりの
ヌミディア王国に
嫁いだことがわかっています。

クレオパトラの血筋は、  
今もなおどこかで続いているようです。