「型やぶり」と「型なし」 | わたしの、ものさし

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 「型やぶり」と「型なし」は全く違うものです。
 前者は、きちんと修行した後に独自の境地に達したもので、優れているという意味合いがあります。
 何かを身に付けるときには段階があります。よく言われるのが、「守破離」。


 まず師匠について、師匠を真似ることから始まります。基本に忠実に学ぶ。伝統や型を丁寧に習得することにも繋がります。これが「守」です。
 基礎基本を習得すると、それを自分なりに解釈しアレンジする段階に達します。これが「破」。型破りです。「型」を破るには、基本の型を身に付けていなければ破れません。型は破っても大きな筋から脱線せずに、独自の技や美を見いだす段階と言えます。
 そうして、師匠から離れて我が道を歩む。これが「離」です。


 やはり良い師匠を見つけて師事することは大事です。
 「オレ流」で成功しても基礎の型がなければ、ただの「型なし」。それ以上の応用も効かず軸がぶれます。一発屋で終わり成功は長く続かないはずです。
 おそらくスポーツの一流選手や企業で成功した人には、師匠の存在があって、基礎的な練習を多く積んでいるはずです。