1月16日、母が亡くなりました。
火葬場がとても混んでいて、葬儀は10日後の26日、長らく、とても冷たい安置所で頑張ってくれた母ですが、ようやく家族みんなに見送られて旅立つことができました。
もともと、持病もあり病弱な母でしたが、昨年6月に大腿骨を骨折してからは、入院生活が長くなりました。
この間、コロナの院内感染や腸閉塞などさまざまな危機に瀕しましたが、その度強靭な生命力で乗り越えてくれていました。
昨年11月に介護施設に入所し、ようやく落ち着いた暮らしができると思った矢先、お正月も笑顔でガラス越しでしたが面会ができたのに、驚くほどのスピードで旅立ってしまいました。
晩年、母は、歩くことが不自由になり、ずっと家だけで生活していました。
自分では何もできない状況で生きていることは、もしかしたら辛かったかもしれません。
でも、最期の時に、母は私たち家族にいろんなメッセージを残してくれました。
生きているだけでいいとよく言いますが、まさに、母は、生きているということ、そのものがどれだけ価値のあることかを、最後の最後に見せてくれました。
お母さん、ありがとうございました。
またね。いつか会いましょう。
晩年の母もきれいでした。
火葬場がとても混んでいて、葬儀は10日後の26日、長らく、とても冷たい安置所で頑張ってくれた母ですが、ようやく家族みんなに見送られて旅立つことができました。
もともと、持病もあり病弱な母でしたが、昨年6月に大腿骨を骨折してからは、入院生活が長くなりました。
この間、コロナの院内感染や腸閉塞などさまざまな危機に瀕しましたが、その度強靭な生命力で乗り越えてくれていました。
昨年11月に介護施設に入所し、ようやく落ち着いた暮らしができると思った矢先、お正月も笑顔でガラス越しでしたが面会ができたのに、驚くほどのスピードで旅立ってしまいました。
晩年、母は、歩くことが不自由になり、ずっと家だけで生活していました。
自分では何もできない状況で生きていることは、もしかしたら辛かったかもしれません。
でも、最期の時に、母は私たち家族にいろんなメッセージを残してくれました。
生きているだけでいいとよく言いますが、まさに、母は、生きているということ、そのものがどれだけ価値のあることかを、最後の最後に見せてくれました。
お母さん、ありがとうございました。
またね。いつか会いましょう。
母の若い頃の写真を見たら、ものすごく美人でビックリしました。
晩年の母もきれいでした。