予定日より早く生まれたのに、大きくて元気な赤ちゃんだった良ちゃん。

 

いつもご機嫌でニコニコ。本当に手のかからない子でした。

 

体を動かすのが大好きで、いつでも走っていたね。

 

12年の人生も走り抜けたようです。

 

そんな良ちゃんが突然体調を崩し、なにがなんだか狐につままれたようなことが次々襲ってきました。良ちゃん、4才のときのことです。

 

その後、良ちゃんは、病気を克服しとても元気な時期を迎えます。

その頃のこと、休暇をもらった会社に報告レポートを提出していました。

 

以下より、レポート再録です。(一部 固有名詞はふせます)

なにせ、今から15年も前、2002年の話ですので、治療法、薬などは現在とは異なっている可能性があること、ご注意ください。

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~お腹が大きいのが気になり受診した大学病院でCT検査を受け、結果を聞いたときのの話~

 

「神経芽細胞腫(今は『神経芽種』というの一般的です)だと思います」

 

 聞いたことはある病名でしたが、どんな病気なのかは全く知りませんでした。

 

 CTの画像を見せられ説明を受けたものの、私の頭の中には何も入ってきませんでした。医師は「良〇君の今までの症状はこれで全て説明がつきます」と言いました。

 

 長い説明の後、この大学病院では小児の手術は勧められないので、国立の小児専門病院か、T女子医大、J大学を紹介したいとの話がありました。

 

 当時、J女子医大は誤診が話題になっており、J大学は小脳症状のとき人に紹介で訪れたものの軽んぜられたイヤな経験があったので、結局国立の小児専門病院を紹介してもらうことになりました。

 

 この間、たぶん20分くらいの説明だったと思います。頭が真っ白になり、ちゃんと聞かなければいけないことも、よくわからないまま、一刻も早く良〇のそばに行かなくては、とそのことばかりを考えていました。

 

 私が医師の説明を受けている間、小児科受付の看護師さんと待っていた良〇は、真っ赤な目をして戻ってきた私に「ママ、どうして泣いているの」と聞いてきました。

 

「いつも沢山検査を頑張って、良ちゃんは偉いなあと思って」。そう答えるのが精一杯でした。

 

 その大学病院の医師は30台半ばとまだ若い医師でしたが、小脳症状以来、良〇のことを一番長い期間診てくれていた人でした。けっして悪い印象を持っているわけではありませんが、結局、この医師がもっと早くに息子の症状を「神経芽細胞腫」という病気と結びつけて考えてくれたら、8ヶ月の間、ガンを放っておくおことはなかったのだなあと、後々、何度も思いました。

 

 後日、小児神経の病院の先生に息子の病気の報告をしたとき、「『神経芽細胞腫』は一番最初の検査を大学病院で受けたときに、まず否定されているのだとばかり思っていた」と、言われました。

 

「だって、採血採尿でわかるんですよ」、と。

 

 小脳症状を伴う「神経芽細胞腫」は割合珍しく、医者だからといって、誰でも気づくものではないそうです。しかし、その知識さえあれば、小脳症状があるときに、「神経芽細胞腫」を疑い、採血採尿するそうです。

 

 息子はそれまでに何度も採血も採尿もしていましたが、血中のNSE、尿中のHVA、VMAという特殊な物質に焦点を絞って検査をしなければわらないので、通常の採血採尿では何もわからないということも、わかりました。

 

 八ヶ月間苦しんだ小脳症状の原因が、神経芽細胞腫という病気のせいだったなんて、思いもしないことでした。

 

 大学病院を後にし、その足で国立の小児専門病院へ向かい、すぐに救急外来で診察が始まりました。

 

 医師の手元にある電子カルテ用のパソコンを目にすると、画面の一番上に「重症」の文字。改めて、大変なことになっていると思いながらも、まだ、何が起ころうとしているのか、実感がつかめぬまま呆然としていました。

 

 「まず、入院病棟に移動しましょう」と外科の医師がやってきました。そこで、初めてこのまま家にも会社へも戻れぬことに気づいたのです。

 

 昼食をとらぬままの検査続きで、「お腹が空いた、早く帰ろう」を連発する息子に「これから、お腹の検査を沢山するから病院にお泊りするよ」と説明をすると、一瞬にして息子は表情がなくなり、それから一言も口を利かなくなりました。

 

 会社へは、「病院へ行くので出社が遅くなる」ことだけを連絡してあったので、急いで「今日はいけない」と改めて電話をいれたものの、次の日からいったいどうなるのか見当もつきません。