これまでは、再発してから良ちゃんが旅立つまで、そしてその後の家族の日々を書いてきました。

 

先ほど、家の片づけをしていたら、あるものを見つけました。

良ちゃんが4歳で具合が悪くなって、神経芽腫だとわかり、治療、手術を経て退院、保育園に復帰するまでの日々をレポートにして

会社に提出していたんです。

 

そこには、当時の良ちゃんの様子、私の心の動きがわりちゃんと記されていました。

 

自分の記録のために、こちらにも残しておこうと思います。

かなり長いので、複数回に分けて書いていきます。

 

では、以下より、レポート再録です。(一部 固有名詞はふせます)

なにせ、今から15年も前、2002年の話ですので、治療法、薬などは現在とは異なっている可能性があること、ご注意ください。

 * * *

 次男、良〇の病名を告げられたのは、2002年10月9日、とある大学病院小児科の中待合をカーテンで仕切っただけの、薄暗い片隅でした。

 

 病名は「神経芽細胞腫」。小児ガンです。

 

 その当時、良〇は原因不明の小脳疾患(ふらつき、言語不明瞭など)で、その大学病院を定期的に受診していました。

 

 2002年2月の中旬、突然フラフラして歩けなくなるという状態になり、その病院で様々な検査を受け、入院もしましたが、結局、原因はわからず、「何らかのウイルスに感染したことによる急性の小脳失調」という病名を付けられていました。良〇、4才3カ月の頃です。

 

 3月にひと通りの検査を終えた後も、歩くことはおろか、1人で椅子に腰かけることもできない状態であったため、保育園に通うこともできず、私は会社から介護休暇をもらいました。

 

 元気で動き回りたい盛りの4才です。突然歩けなくなるというストレスは相当なものがあったらしく、精神状態も落ち着かず、癇癪ばかり起こしていました。

 

 小脳に疾患があって歩けないというのは、足を怪我して歩けないというのとは、全然意味合いが違います。

 

 体を起こしているとフラフラしてバランスが取れないため、結果として歩けないのです。歩くということ以外にも「腰をおろして座る」「字や絵を描く」「箸を口に運ぶ」などといった、ごく日常の行動の多くに支障をきたす状態が続いていました。

 

 立って歩けず、ハイハイをしながら家の中を移動しながら「どうして、また赤ちゃんみたいになっちゃったの?」と、良〇に何度も問いかけられました。

 

 人一倍体を動かすのが好きだった良〇にとって、この状態は本当にもどかしかったと思います。振り返ると、その後のガン闘病生活もつらいものでしたが、この原因もわからず、体が思うように動かないストレスを抱えたいた時期も、母子ともにとても苦しい時間だったのです。

 

 なんの治療もしませんでしたが、5月のゴールデンウイークを過ぎるころには、少しずつですが、症状に改善が見られ、手を繋ぐなど支えがあれば歩けるようになってきました。

 

 当時、この小脳症状が、命に係わることだとは思っていませんでした。会社もそう長く休むこともできないし、何よりずっと家にいる生活でたまる息子のストレスを解消するためにも、保育園に通うことが良いのではないかと考え、園の先生方に事情をご理解をいただき、ふらつきで転倒しても怪我のないようにヘルメットと肘と膝のサポーターを持たせ、息子は保育園、私は会社へと復帰したのです。