8月に、なぜだか急にアクセス数がふえました。
それもすごーくたくさん。
それまでは、おそらく限られた方々が読んでくださっていると
思っていました。
なので、私もあまり深く考えず、思うがままに書いていたのですが、
初めて、それも闘病記を読みたくてこちらを覗いて
くださった方たちには、イライラとさせる内容があったようで
お叱りのコメントもありました。
このブログ、これからどうしようかとちょっと悩みましたが
今後も自分のペースで、やっぱり思うがままに書いていこうと
思っています。
まあ、個人的な日記みたいなものです。
ご不快な方は、スルーしてください。
良ちゃんの病気の話。
どこから始めたらいいかよくわからないので
はじめのはじめ、良ちゃんが生まれたときから
書いてみようと思います。
1997年11月11日 午後12時58分
3340グラム、52センチ。
良ちゃんは生まれました。
予定日より早かったのですが、
とっても大きく元気に生まれました。
生まれてきて、初めて良ちゃんの顔をみたママの
第一印象は
「あー、にいにとそっくりだわ」
でした。
でも、赤ちゃんのときのにいにと良ちゃんは
性格が全然違いました。
抱っこしてないと泣いてばかりで
おっぱいもなかなか飲んでくれなかったにいに。
良ちゃんは、いつもニコニコ。おっぱいもたくさん飲んで
本当に手がかからない赤ちゃんでした。
そんなご機嫌な赤ちゃん良ちゃんでしたが、
生後一カ月の時に大きな試練がやってきます。
ある日、いつもようにニコニコの良ちゃんを抱っこすると
身体がいつになく熱い感じがしました。
熱を測ると38℃。
赤ちゃんは大人よりも体温が高いものだし、
部屋が暑いのかなと思い、部屋を少し涼しくしたりして
様子をみましたが、しばらく経っても良ちゃんの熱は
下がらず、ますます高くなっていきました。
あわててかかりつけの小児病院に連れていくと
生後一カ月で熱が出るのはとても心配だから
大学病院で、ちゃんと検査してもらいなさい、
と紹介状を書いてくれました。
大学病院では、髄膜炎の疑いがあるから
骨髄液を調べますと言われ
良ちゃんは看護師さんに抱っこされて検査室に
連れていかれました。
戻ってきた良ちゃんの顔には紅斑が出て真っ赤になっていました。
先生、この顔は・・・と聞くと
「痛い検査だったので、すごく泣いたからだと思います。
すぐに治りますよ」と言われましたが
顔の毛細血管が切れるほど、泣かせる検査をされて
本当にかわいそうでした。
何が起こっているのか、なんだか訳もわからぬうちに
医師から呼ばれ
「髄膜炎にかかっています。ウイルス性か細菌性かで
予後が違います。検査の結果がでるまでには一晩かかります。
入院になります」と言われました。
その時、初めて、「予後」という言葉を知りました。
細菌性だと、命にかかわるかもしれない。
治ってもさまざまな後遺症が残るかもしれない、などということを
聞かされ、凍りついたことを覚えています。
その病院は夜の付き添いが禁止だったため
病気の良ちゃんを残して帰宅するのですが、
現在のようにインターネットなどはまだあまり普及しておらず
「赤ちゃんの病気事典」や「家庭の医学」など、
家にある本を読んで、何が起きているのか必死で調べたものの
よくわからず、良ちゃんが飲んでくれないおっぱいが張って
痛いのと、悲しいのとで、胸が苦しかったものです。
結局、良ちゃんの髄膜炎はウイルス性で、一週間ほどの
入院で、後遺症も残らず元気になったのですが、
入院中の良ちゃんは、泣いてばかりいて
苦しそうだったことを覚えています。
今から思えば、良ちゃんは本当に小さい時から
病気と闘う人生だったのです。
そして、このことを機に、私はとっても心配症になった気がします。
しかも、その心配症はその後何も役に立たないのですが、、、。
今日は、にいにが留守中、最後の日曜日。
父さんと二人で近所の焼肉屋さんに行きました。
良ちゃんがいたころ、家族四人でよく行ったお店です。
良ちゃんがあちらの世界に行ってから、初めて家族三人で
そのお店に行ったときに、
あー、我が家は三人になってしまったと、寂しくてたまらくなりましたが
今日も、「あー、父さんと二人だな」って思ってしまいました。
父さんとの話題は、結局にいにのことばかり。
30分くらいで食事を終え
サービスで出るpino(アイスクリーム)は
良ちゃんがいたころと変わらないのですが、
これ、良ちゃんが大好きだったよねと
アーモンド味をお土産に足早に家に帰った私たちでした。