おかんとの暮らし | 肺がんステージⅣの姑さんの記録 1月30末期宣告 8月15日旅立ちました。

肺がんステージⅣの姑さんの記録 1月30末期宣告 8月15日旅立ちました。

2014年12月31日に父急死
2015年1月実母倒れる
2015年1月30日姑さん肺がん
ステージⅣ宣告
あっちもこっちも。。
どないやねん!
から始まったブログ

1日におかんを連れて帰って。。
当初の意識障害もほぼなくなり
トイレ介助はなくなり
1人での留守番もちょこちょこ
散歩にも連れ出し可能になり
ディサービスの体験にも行ったり
ほぼほぼ正常な生活を送れています。

朝は和定食をペロリ
昼も出したもんはペロリ
晩御飯もペロリ

朝、昼、晩、あたしの
作るもんはペロリとたいらげ

なんと体重38キロ~44キロに増加
かわりにあたしは3キロダイエット

まぁ。。。
今までたいがいダラダラの生活
おかんの食事の世話をする事で
朝から家事をするという
全うな生活をしてるだけで
特別何もしてないのですが。。
3キロ痩せました(^^ゞ

食後に血圧がガクン⤵と下がったり
心拍数が異常に上がったり

まだ何かしら心配な事はありますが。。
その度に病院かかったり
どやこや騒ぐつもりもなく

おかんの希望は
お酒は死んでもやめたくない
それで死ぬなら本望
だそうで。。
無理にやめさすつもりも
ありまへん

今はあたしとおかんは
ダブルのお布団に一緒に寝てます
時々息が止まってるんちゃうか?と
心配になる時もあります
でも
それはそれで
もうしかたないと思ってます
もし

心臓止まってるの見つけても
救急車は呼びません
心臓マッサージもしません
だって
お酒やめるの嫌だなんだもん
タバコやめるの嫌やんだもん

晩酌して心臓ばくばくしても
血圧低下して失神しそうになっても
まだ飲むの無理ちゃうの?
しばらくやめとけば?と言っても
「イヤ!」って顔しかめて
口とんがらかして
お父さんみたいに
心臓止まって死んでも
それが本望や!と言うからね

病院は
病気を治したくて
頑張れる人が行く所です

うちのおかんは
もういいです。
好きにさせてあげるのが
一番いいと思うわ

横で寝てるおかんを見てると
2年前の今頃の
姑さんを、思います。

お舅さんに押しきられ
鳥取に移住して
一番大好きな息子と離れて
毎年、盆、暮れを
楽しみにして。。18年

肺癌がわかり
末期だと言われて

どんなにか大阪に帰ってきたかったか。。
亡くなってから読んだ日記に
「死ぬまでにもう一度○○○と暮らしたい」
そう買いてあった

あたしは姑さんの病気がわかったじてんで
大阪へ連れて帰る!と思ってた
母がそう望んでるだろうと思ってたし
病院だっていい所いっぱいあるし
なんしか
あと数ヶ月なのか数年なのか
わからない母の命
出来る限りの事をしてあげたかったし
旦那である息子と過ごさせてあげたかった
のに。。
結局はなーんにもできなかった
草津温泉にも行けなかったし
ほんま。。家で1人でいてる事や
病院で過ごす事が多かった姑さん

今のうちのおかん見てて
道おもってるやろうか。。

えぇなぁ。。
あんたのおかあさんは。。
いつも子供らが近くにいて
至れり尽くせり。。お世話してもろて
私は便りにならんパパとふたりきり。。
ツラカッタ、淋しかった。。
そうおもってるやろうか。。

最近旦那が
「おかんの気配がする」
と言ってます

きっと
いいなぁ。。
わたしもそうやって
息子の家で嫁さんが世話してくれて
そうやってスゴシタカッタなぁ。。って
見てるんちゃうかなぁ。。と

してあげたかったなぁ。。と

自分のおかんの寝顔見ながら
姑さんの事を思って、なける

あたしがおかんの事をしてる姿
旦那がどんなにか思いで見てるやろうと
旦那の気持ちをかんがえるとナケル

ほんま。。おかん
あんたはめちゃくちゃ恵まれてるねんで
わかっとんかいな。。