小学校高学年の社会科で富岡製糸場について習った記憶があります。
私の記憶は「富岡製糸工場」だったのですが・・・。
近年、テレビのニュースで当時の建物が今も残されている事を知りました。
世界遺産登録に向けての活動が進められています。
建造物は明治5年(1872)の創業当初のままで残されています。
当時、明治維新を迎えた日本の政府が急務としたのは、輸出品の要であった製糸の
品質改良と大量生産を可能とする器械製糸工場の導入でした。
日本の工業化は、製糸から始まりました。
繰糸場(そうしじょう)
繰糸場は繭(まゆ)から生糸を取る作業が行われていた場所です。
創業当初は世界最大規模の工場でした。
繰糸場建物には「トラス構造」という従来の日本にない建築工法を用いているため、
建物内部には柱がありません。(長さ140m、幅12m、高さ12m)
東繭(まゆ)倉庫
1階は事務所・作業所などとして使い、2階に乾燥させた繭(まゆ)を貯蔵しました。
建物の構造は、木材の骨組みの間にレンガを積み並べる工法「木骨レンガ造」が
使われました。
倉庫内の通気をよくするため、窓が多く設置されています。
西繭倉庫
東繭倉庫と同様、繭の貯蔵庫として使用しました。