今日の散歩は川越城「中ノ門堀跡」です。
川越城の堀の跡がほんの一部分ですが現在も残されています。
川越城は長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子によって築城されました。
江戸時代になると、川越城は、江戸の北の守りとして重要視されるように
なりました。
寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は、川越城の大改修を行いました。
この際に中ノ門堀が造られたと考えられています。
(堀跡入口)
この堀と堀の間に中ノ門が存在したことから「中ノ門堀」と呼ばれています。
中ノ門は残されている絵図によると二階建ての立派な櫓門(やぐらもん)で
あったようです。
この堀は城の外側から本丸御殿方向に向かう道を屈曲させ、敵の直進を妨げる
目的で作られた防御施設です。
この一部分だけが残されている唯一の堀跡です。
左が本丸御殿方向で敵の行く手を阻む60°の勾配、右が30°の勾配。
現在では宅地化が進み、かつての川越城の名残を残すものは本丸御殿の一部、
富士見櫓(やぐら)跡と、この中ノ門堀跡のみとなっています。
川越城中ノ門堀跡
埼玉県川越市郭町1-8-6
開園時間:9:00~17:00
休園日:年末年始(12月29日から1月3日まで)
川越城の堀の跡がほんの一部分ですが現在も残されています。

川越城は長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子によって築城されました。
江戸時代になると、川越城は、江戸の北の守りとして重要視されるように
なりました。
寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は、川越城の大改修を行いました。
この際に中ノ門堀が造られたと考えられています。

(堀跡入口)
この堀と堀の間に中ノ門が存在したことから「中ノ門堀」と呼ばれています。
中ノ門は残されている絵図によると二階建ての立派な櫓門(やぐらもん)で
あったようです。

この堀は城の外側から本丸御殿方向に向かう道を屈曲させ、敵の直進を妨げる
目的で作られた防御施設です。

この一部分だけが残されている唯一の堀跡です。
左が本丸御殿方向で敵の行く手を阻む60°の勾配、右が30°の勾配。
現在では宅地化が進み、かつての川越城の名残を残すものは本丸御殿の一部、
富士見櫓(やぐら)跡と、この中ノ門堀跡のみとなっています。
川越城中ノ門堀跡
埼玉県川越市郭町1-8-6
開園時間:9:00~17:00
休園日:年末年始(12月29日から1月3日まで)