今日の散歩は川越城本丸御殿からご案内します。
川越城は長禄元年(1457年)に太田道真(資清)・道灌(資長)父子らによって
築城されました。
寛永16年(1639年)松平信綱による川越城の拡張整備が行われ、本丸・二ノ丸・
三ノ丸・追手曲輪・新曲輪などの各曲輪、4つの櫓(やぐら)、13の門からなる、
総面積約9万9千坪(約32万6千㎡)余りの規模をもつ巨大な城郭になりました。
川越城には天守閣が無かったため、高台に敵からの攻撃を監視する櫓が置かれ
ていました。
現在は住宅地化され、現存するのは本丸御殿、堀跡、櫓跡のみです。
(本丸御殿)
明治時代になると、城としての役目を終え、本丸御殿は県庁舎、郡の公会所、
煙草工場、武道場、中学校仮校舎など様々な用途に使用されました。
昭和42年に本丸御殿の大規模な修理工事を実施して、現在の公開施設に
なりました。更に平成20年から22年にかけて修復工事がされています。
(内部の様子)
(作戦会議中?)
(中庭)
(家老詰所)
本丸御殿に勤務していた藩の家老が詰めていた建物です。
以前は離れた場所に建っていましたが、昭和62年にこの場所に移築されました。
川越城本丸御殿
〒350-0053 埼玉県川越市郭町2-13-1
問い合わせ先:川越市立博物館
TEL 049-222-5399
川越城は長禄元年(1457年)に太田道真(資清)・道灌(資長)父子らによって
築城されました。
寛永16年(1639年)松平信綱による川越城の拡張整備が行われ、本丸・二ノ丸・
三ノ丸・追手曲輪・新曲輪などの各曲輪、4つの櫓(やぐら)、13の門からなる、
総面積約9万9千坪(約32万6千㎡)余りの規模をもつ巨大な城郭になりました。
川越城には天守閣が無かったため、高台に敵からの攻撃を監視する櫓が置かれ
ていました。
現在は住宅地化され、現存するのは本丸御殿、堀跡、櫓跡のみです。

(本丸御殿)
明治時代になると、城としての役目を終え、本丸御殿は県庁舎、郡の公会所、
煙草工場、武道場、中学校仮校舎など様々な用途に使用されました。
昭和42年に本丸御殿の大規模な修理工事を実施して、現在の公開施設に
なりました。更に平成20年から22年にかけて修復工事がされています。

(内部の様子)

(作戦会議中?)

(中庭)

(家老詰所)
本丸御殿に勤務していた藩の家老が詰めていた建物です。
以前は離れた場所に建っていましたが、昭和62年にこの場所に移築されました。
川越城本丸御殿
〒350-0053 埼玉県川越市郭町2-13-1
問い合わせ先:川越市立博物館
TEL 049-222-5399