8月9日の夜中に生まれた。
出産後、なかなか抱かしてもらえず、長いな~なんて言っていた意味が,
今になるとわかる。
助産師さんや先生は、動揺していたんかな?
その産婦人科でも始めて経験したと言っていた、5番染色体異常の子供。
何も解からず、「猫みたいに泣くな~」って、嬉しそうに言っていた自分のこと。
誕生を喜んでいたけど…
どん底に落とされたのが本音。
でも、
愛琉には何の罪も無く、責任なんて無い!
嫁さんにも罪がなくて、
神を恨みました。 罰当たりなんて、どうでもいいと思った。
神様はそんな事をしないと思っていいたけど、
これが事実だから仕方ない
恨んで、恨んで、
裏切られたと感じた。
宮参りも、お祭りも行こうとしなかった。
神様を信じたくないのだから、行ける訳が無い。
冒涜した人間は立ち入りできない。
生まれて直ぐに、障害の事がわかった訳ではなく、不安と少しの情報から、
調べていった。
病院では、染色体異常の検査を進められた。
聴覚の異常も言われた!
また、他の特徴として、
手の平の猿線と、目と目の乖離。、
弱いミルクの飲み方、 ねこの様な鳴き声、
それらの事から、大きな病院での血液検査を告げられた。
ここまで来れば、裏付けがは有るから、言われてるのだろう。
8月の盆休みは色んな図書館に行った。
酷い現実を知らされる!
愕然とさらされた。
夢見た、息子とのキャッチボールなんて出来ない。
跡取り息子と喜んでいたのに、
自立、会話、そして、歩行すら大幅に遅れる成長になるなんて…
ハッキリ言って、死産よりも残酷と感じた。
この子の人生は明らかに、不憫だ。
自分では理解できないかも知れないのが、
それが、可哀相でならない。
娘にも、申し訳ない。
将来的に、色々な壁も苦難も、
出てくるだろう…
この現実は、、
自分への罰なのか?
僕が何を神に叛いたのだろう?
もしかして、どこかで障害を馬鹿にしてしまっていたのか?
その罪なのか?
とにかく、こんな事になるほど、
悪党ではないと
思っていた。
認めたく無かったけど…
図書館で、障害と染色体異常の本を片っ端から見た。
現実を理解していき、
途轍もない悲しみに襲われ、
涙を堪えるのが必死だった。
トイレへ駆け込んで、涙を流してしまった。
親父に涙を流すのは、親が死んだ時と言われていたのに…
嫁さんも家で不安を抱えながら、
待っているだろう。
辛いだろうから、少しの涙で、堪えた。
情けなくて、笑える。
お盆には恒例の高校野球がやっていて、
ファンモンの曲、 「あと少しだけ…」のフレーズが何度もこだまして、
忘れられない時間。
胸を締め付けられる思いを、いっそう悲しくさせたけど。
お盆休みは長く、長く、感じた。
事実を嫁さんに話すと、
涙をながした。
そして僕も涙を流した。
初めて嫁さんの前で…
二人を見た、娘は 「どうしたん?」って言っていた!
まだ、言葉も少ししか知らないのに、何かを感じたんだろう!
生まれる希望と未来の為に
あんなに、悪阻もがんばって
陣痛も耐えたのに…
仕方ない! 責任なんて誰にも無い。
楽しいはずの盆は
過去の出来事で、
昔の思い出だけしか残らなくなってしまった。
それよりも、
これからの試練を覚悟し、
暗い未来だけを見てしまっていた。
愛琉に対して、殺人と心中を考えた。
最初は殺そうと思った。
自立できないし、愛する事もできるのか?
何の為に生まれてきたんだろうと…
将来の介護を、娘にさせたくない…
でも、親がいなくては、生きていけない。
重度の知能の遅れがあるのは、
致命的であり、自立なんてあり得ない。
少し日が経ち、感じたのは、
愛琉はそんな事は解らないし、
何の罪も無い。当たり前だけど…
だから、一緒に死んであげるのが、親としての責任と思った。
間違っている指摘はあるだろうが、その時僕の答え。
それは僕の偏った考えだけど、
その時の自然な気持…
そして自分を追い込む…
孤独になり、自分で背負っていこう
でないと、死ぬ勇気なんて出ない。
恐らく、瀬戸際もあったのだろう…
偶々、同僚の自殺が有り、
その思いが少し
閉ざされたのかも知れない…
その時の頭の中は白くて、思い出し難い。
いつも思うが、
同じ境遇の人じゃないとわからないと思う。
なんの壁も無い人は、
助ける事を喜びと感じたり、
優位な立場だから、優しく出来るのだと…
人生に拗ねた考え方かも知れないが、
僕と同じ立場になれば、どう生きるのか…
命の大切さを、自分にも貫ける意志があるのか?
強い意志を貫き、立ち止まらずに、邁進出来るのか、
疑問に思った!
だから同じ境遇でないと、解らないと思う。
震災にあった東北の方の気持ちはどうなんだろうか?。
日本は一つ!
心は一つ!
みんな仲間!
頑張ろう!
とは言うけれど…
そう言う人が全てなんだろうか?
その人の時間や、色んなもんを捧げてでも、
本当に助けてあげれるのか?
大切な事を犠牲にしてでも、
支えてあげれるのか?
安易な優しさは不要だ。
薄っぺらい気持ちは、その人を傷つけてしまう。
言葉よりも行動がいい。
不器用でも、心が伝わる。
それでも何とかしたい言ってくれる人が、
生きてくる言葉と思う。
そんな、自分の考えが、世間との隔たりを生み、
世間との障害をつくってしまっている。
愛琉が生まれて、可愛いと思う時もあるば、暗い気分になる時も有る。
正直な気持ちだ。
誰かが僕を奮い立たそうと、
息子の障害を、気にする事など無いよとか、
他の子とそんなに変わり無いよと言っても、
明らかにに、違っている!
安易な言葉は止めてもらいたい。
現実に打ちのめされても、
がんばろうとしているだから…
それでも、心が折れてくる。
可愛がってあげなくてはと、努力しようとしている。
努力する事では無いのに…
これが根本的に不自然な事。
生後1ケ月ぐらいのとき、会社から帰ると、
また猫のように泣いている。
その声が嫌になり、拒絶していた時もあった。
目を合わそうとしない時もあった…
失格な親だと思う。
1年もたてば、もう少し大きな気持ちになれるのかと思っていたけど、
どうなのかは解からない…
悲しみが慢性化していて、
慣れてきた感じもある。
率直に、
楽しい気分なんて、
自然にも、意識的にも慣れない。
最近は、昔の事ばかり思い出す様になった。
楽しい過去ばかりを思い出す。
未来を見れず、過去の思いだけが、
浮かんで来る。
そんな事思っても、
仕方ないんだけども…
未来を夢見る余裕は無く、今を生きる事。
今を取り崩すと大変な事になってしまう気がする。
自分が不安定な時があっても、
愛琉を可愛がってあげるのが、
使命と思う。