こんにちは、
日本で一番ホーセンブースの商品が揃っているK-PROJECT通販サイトの店長です。
今回の記事は、以前に3回に分けて紹介した、ホーセンブースが発展するさまを記している、
ロサンゼルスタイムスの記事の統合版です。
なお、小見出しはきじの内容を分かりやすくするために、店長が付け加えたもので、
ロサンゼルスタイムスの記事にはありません。
それではお楽しみください。
ロサンゼルスタイムスの「ジュエリービジネスの進展」
2012年9月12日、「ジュエリービジネスの進展」と題して、ロサンゼルス・タイムズがホーセンブースの
設立以前から、発展していく様を書いた記事を掲載していますので、以下に紹介します。
スターバックスでの最初の販売価格は3,000ドル
一部の人々は、創造的な才能が認められるまで数年待ちます。 しかし、ロバートキースの待ち時間は
24時間足らずでした。
それは2005年のことです。新しい挑戦を求めているファッションフォトグラファーのキースは、高級ジュエリーを
はじめて作成しました。船のアンカーチェーンのミニチュアバージョンのように見える金の指輪でした。
「私はその指輪をとても誇りに思っていました。それを指につけて、通りを下ってスターバックスに
行ったのです」(キース)。そしたら、女性がキースの肩をたたき、「すみません。 その指輪をどこで買ったのですか?
ビンテージですか?」と聞いてきました。「いいえ」とキースは答えました。「私が作ったのです。」
その日がキースの作品が最初に売れた日となり、ストローのスリーブを使ってお客の薬指のサイズを測ったのです。
数日前に宝石店で見た指輪の価格が3,000ドルだったので、それを提示しました。彼女がすぐに了承したので、
キースの方が驚いたということです。
カリフォルニア発のファインジュエリーブランド
今日、キースと彼のビジネスパートナーであるケザーパーカーは、売り出し中の若手スターやロックスターが好む
ホーセンブース・ジュエリーコレクションの指輪、ブレスレット、イヤリング、その他のハイエンドアイテムを
取り仕切っています。
ホーセンブースという名前はオランダ語ですが、ジュエリーはサンタモニカとロサンゼルスのダウンタウンで
デザインされ、作られています。
キースとパーカーは、ホーセンブースの今年(2012年)の売上高を約250万ドルと推定していますが、
これはカリフォルニア州の製造業の全売上高に比べると、ごく僅かな額にすぎません。
宝石業が盛んなカリフォルニア
カリフォルニアの宝石商は、2011年に貿易額は48億ドルに達し、ニューヨークを除く他のどの州よりも
多くのダイヤモンドを輸出しています。2012年の最初の6か月間、宝石の輸出は、別の有名なカリフォルニア
の製品ラインである航空機、宇宙船、航空宇宙部品にわずかに遅れをとっていただけです。
カリフォルニアジュエラーズアスンの2代目社長で、フレズノを拠点とするオルロフ宝石商のジェームズM.
オルロフ氏によれば、カリフォルニアには約5万人の従業員を抱える約12,000の宝石商が存在しています。
オルロフ氏によると、カリフォルニアはジュエリー業界において世界で最も重要な貢献者の1つであり、
州の産業の多くはロサンゼルスとサンフランシスコに集中しています。
「ニューヨークはジュエリー産業の心臓部です。 フランスとイタリアは多くのトレンドをリードしていますが、
デザインと製造の面では、カリフォルニアが一番です」とオルロフ氏は言っています。
「誰もが有名人は何を着ているかを見たいと思っています。有名人の多くがここにいるため、
人々はカリフォルニアの宝石商が何をしているのかを知りたいのです。」
セレブたちを虜にしたホーセンブース
わずか7年で、キースのジュエリーはクリステン・スチュワート、カニエ・ウェスト、デビッド・ベッカムなどの
セレブたちを虜にしました。
ホーセンブースのラインは、金、プラチナ、銀などを含む多くの金属が用意されており、透明な石だけでなく、
黒、茶色、赤、青のすべての色のダイヤモンドも選択できます。
但し、ホーセンブースは、2003年に設定された国際紛争基準であるキンバリープロセス認証スキームを
パスしたダイヤモンドのみを販売しています。
業界の中で期待されるホーセンブース
設立して7年経っても、ホーセンブース・ブランドは、数十年で滞在力が測定される業界の中では、
かなり若いと考えられています。 バーニーズニューヨークのような高級小売業者は、ホーセンブースが
長期的な市場性を持つことに賭けているのです。
ハリウッドでブティックを運営するJust One Eyeショッピングサイトの購入者であるファラカティナは、
ホーセンブースのラインには「鋭さがあるが、非常に洗練されている」と言います。
「モダンな魅力と洗練さを同時に兼ね備えていることは非常にまれです」と彼女は続けます。
「ブランドとして、それは非常に長期間持続することを意味します。」
ホーセンブースという名前は、16世紀にキースの先祖が乗っていたオランダの商船にちなんで
付けられたものです。但し、ホーセンブースの出発はちょっと変わったものでした。
(続く)
(第2話)
キースの生い立ち
ホーセンブースの創設者であり、チーフディレクターでもあるロバート・キースは、サクラメントで生まれ、
芸術と音楽の教師であった父親のロバートと、精神障害者を支援する非営利団体を運営していた
母親のサンドラによって、ローズビルの近くで育てられました。
キースは大学に通ったことはなく、ジュエリー制作の正式なトレーニングや見習いも受けていません。
キースは、約10年前に、ファッションフォトグラファーとして自立する前に、別のファッションフォトグラファー
を手伝いながら、不用品交換会やヤードセールなどで小道具のアイテムを集めていました。
そこで彼が最も魅了されたのが宝石だったのです。
キース、ジュエリーを独学で学ぶ
「他のどのアイテムよりもジュエリーはスゴイと思いました」とキースは言っています。
その頃、彼は高級ジュエリーについて独学で学び始めたのです。
43歳のキース氏は言います。「私たちが望まない限り、多くのことを学ぶことはできません。
そして、私は本当にジュエリーのことを学びたいと思いました。
喜んで心を開く人に対しては、教育というのは実は簡単なことなのです。」
キースが作った2番目のリングは、パーカーが手にしました。当時、彼はサンタモニカのメルセデスベンツ
ディーラーでセールスマンとして働いていた、元俳優・ファッションモデルで古くからのサーフィン仲間でした。
パーカーのセールスマンとしての仕事は長く続きませんでした。
パーカーは、メルセデスの見込み客の多くが、彼の指輪について尋ねていることに気付いたのです。
その後、パーカーはすぐにキースが作った指輪の写真を販売店に持ってきたのでした。
「このようにして、私たちは商品をかなり売り始めました」とパーカー(40歳)は言っています。
「そして、このことは、自分が今までやってきたことよりも納得のいくものでした。」
パーカーがホーセンブースに加わる
全くの適任でした。 2007年にホーセンブースに入社したパーカーは、販売とマーケティングを担当する
ブランドの「アンバサダー」になりました。 これにより、キースはデザインに専念できるようになったのです。
ロバート・キース(左側)とケザー・パーカー(右側)
ビデオや写真の撮影やレストラン、コーヒーショップで頻繁に新しいクライアントと出会っていたキースは、
「噂が急速に広まっている」と感じました。
彼は冗談めかして当時のことを「路地の麻薬の売人のような気分」だったと言っています。
キースが、「これらは私の作品です。」と言うと、彼らは「ああ、これ、欲しい。 持たなきゃ!」と反応します。
キースは、リングサイズの測定器とメモ帳を持っていて、「OK、あなたの電話番号は何ですか?」と聞くのです。
そのようにして事が進んでいったのです。
バーニーズニューヨークとの出会い
キースとパーカーのファッション業界とのコネクションと友人たちが、彼らが大きく飛躍する際のカギでした。
2人は2007年9月にニューヨークに招待されました。そして、ファッション業界の友人たちによって、
ホーセンブースのジュエリーについて質問したい人たちがホテルに送られてきたのです。
その中に、バーニーズニューヨークのバイヤーが1人いました。そのバイヤーが、ホーセンブスの全ラインを
買いたいと言ってきたのです。
それはめまいがするような皮肉で満たされた瞬間でした、とキースは言っています。
その時、キースとパーカーはニューヨーク州バーニーズから300,000ドルの注文を獲得したのです。
しかし二人は、クレジットカードの合計限度額がマンハッタンの高価なホテルであるマーサーでの滞在を
カバーするのに十分であるかどうか確信がなかったのです。
バーニーズシニアファッションディレクターの小倉知子氏は次のように語っています。
「ホーセンブースのジュエリーには、すべての年齢層の女性にアピールするクラシカルで美しい
ものがありますが、はっきりとしたエッジもあります。
ホーセンブースのアンカーの背後にある遺産に加えて、
このバランスがコレクションを特別でユニークなものにしているのです。」
続く
(第3話)
幅広い層に支持されるホーセンブース
ホーセンブースは、セレブたちのお陰もあり、世界的な景気後退や貴金属・宝石の価格変動を
乗り越えてきました。
キースによると、同社の売上高は2009年に50万ドル、2010年に75万ドル、2011年に120万ドルと増加してきました。
パーカーによれば、「火曜日の午後の昼食時に1万ドルを費やすことができるのは、不況に強い人々だけです」。
「それは私たちが販売の対象とするグループではありません。しかし、私たちと私たちの会社が生き残ることを
可能にしたのはこのグループです。」
キースは、「このブランドは単一の所得層、職業、年齢層だけに向けて作られたものではありません」
と言っています。
「最初のころは、興味を持った人には誰にでも、という感じでした。」
「私たちはビバリーヒルズで流行の最先端を行きたがっている16歳の若者から高級住宅街である
アッパーイーストサイドの75歳の老人に販売しています。本当に幅広い顧客を抱えていろのです。」
ホーセンブースの製品ラインは、スターリングシルバーのバックルが付いた700ドルのレザーベルトから、
100,000ドルを超えるダイヤモンドがちりばめられたブレスレットまであります。
ホーセンブースの製造過程
ビジネスとしては、ホーセンブースは小規模で運営されており、通常14〜15人の従業員しかいません。
キースは友情と人間関係を大事にしており、妻のレジーナがビジネスマネージャーとして働いています。
制作部長のギルバート・モントーヤは、小学3年生の時からの友達です。
ホーセンブースのジュエリーは全て、3つのアンカーチェーンを表す会社のトレードマークである
トライリンクのバリエーションから生まれています。
キース氏によると、製造工程は手描きから始まります。
次に、コンピュータで生成される図面に移動します。
2次元の形状から始まり、ホーセンブースリングは、宝石のワックスの塊で3次元の形を取り始めます。
キース氏によると、これは何世紀にもわたって使用されてきたプロセスだということです。
ワックスの中心は薬指の適切なサイズにボーリングされます。
ワックスを溶かして成形するために、さまざまなサイズのポイントが付いた加熱ワックスペンが使用されます。
ポイントが薄いほど、複雑な作業が可能となります。
キースがこの時点でまだ満足していない場合、3次元のコンピューター画像に目を向けることになるでしょう。
次に、ワックスモデルを石膏で覆って型を作ります。
次のステップで、窯で加熱します。 ワックスが溶けて、中空のモールドまたはフォームが残ります。
次は鋳造プロセスで、ホーセンブースの作業室の外で行われる唯一のステップです。
溶融金属を金型に流し込む鋳造は、ロサンゼルスのダウンタウンにある施設で行われます。
ラフな未完成のリングは、最後のステップのためにホーセンブースに戻ってきます。
さまざまな硬度のブラシ、宝石のルージュ、それにカーボンコンパウンドを使用するマシンでのバフ研磨により、
光沢とディテールを引き出します。
指輪の図面が承認されてから配達までは、3〜4週間かかります。
ホーセンブースの次なるステップ
キースとパーカーによれば、ホーセンブースの次の大きなステップは、最初のブライダルコレクションを
その年に発表することです。 作品は、バーニーズ・ニューヨークを通して15,000ドルから120,000ドルの価格で
販売されることになっています。
ところが、キースがしたことで彼の父親が最も驚いたのは、そのことではありません。
「彼は私がファースト・レディのミシェル・オバマのためにイヤリングのペアを作ったという事実に
最も感銘を受けました」(キース)。大統領夫人のファッションコンサルタントの1人が、
イベント用のジュエリーを作ってくれるようにキースに依頼してきたのです。
キースは、バングルやフープイヤリングのペアなどを提供しました。
約8.5カラットのダイヤモンドを含むジュエリーは、通常どおり、後で会社に返却されてきました。
「彼女がそれらの品を本当に身に着けたかどうかは分からない」とキースは言っています。
最後に
いかがでしたか?
ホーセンブースやキースが有名になる前の名もない時代から、友人たちの支援の中で急速に成長してきた
足跡が手に取るようにわかるような記事ですね。それに、創業者であり、チーフデザイナーでもある
ロバート・キースの人柄も良く描かれていますね。
それにしても、大統領夫人御用達になるとは、大したものですね!