「プリンセス・チュチュ」2002年キッズステーションで放映
「プリンセス・チュチュ」という現在(2012年)から10年も前に放映されたアニメを観たきっかけは、私が「魔法少女まどか☆マギカ」好きだと知った知人がDVD BOXを貸してくれたからでした。正直言って第1話は面白くなくて見続けるのが苦痛でしたが、その知人への義理の気持ちだけでDVD1巻くらいは見終わろうとしました。気付いたら予想外の展開と美しい演出の連続にぐいぐい画面に引き込まれまれ、最後は号泣していました。私は映画などで登場人物が死ぬシーンでは泣かない(お涙頂戴に見えて冷めることも…)のですが、愛の描写には弱いです。泣きたい方へおすすめです。ティッシュ一箱ご用意ください。
見た目はバレエとクラシック音楽を組み合わせた、甘口でロマンチックな女の子向け変身ヒロインのアニメです。しかし見た目通り受け取ると、まどか☆マギカを単なる魔法少女萌えアニメと受け取るのと同じくらい痛い目をみます。
第1話に提示された甘口の学園風景とバレリーナに変身するヒロイン、ヒロインの能力で王子様の心のかけらを集めて王子様を救うお話なのねと思わせて、話が進むと最初信じていた世界観がひっくり返される物語構成。(最初はのどかな日常を背景に持つヒロインが、変身して悪い魔女と戦うお話☆と思わせて実は全然違っていた、まどか☆マギカに構成が似ていますね。知人が貸してくれたのも納得)
物語の世界観は転換するものの、後半になるほどに心理描写が増えるように感じました。運命に立ち向かう登場人物達の姿と美しいクラシック音楽に乗せられた純粋な愛の表現が、クライマックスには怒涛のように涙を誘います。
このチュチュという作品、リアリティーはありません。動物が同級生や先生をやっているだけでなく、突然背景が変わり、キャラクター達はバレエを踊りだし、どこからともなく花が咲いたり服装が一瞬で変わったりスポットライトが当たったり、挙句の果てには踊りで様々な問題解決。ロボットアニメ等、空想の設定を基にリアリティーを追及して描くアニメとは逆の位置にあると思います。
最初の頃は「なぜここで突然踊る!?」とつっこみますが、役者さん(キャラ)の演技に引き込まれてからは踊りが言葉になります。バレエも舞台上の形式化された動きにより感情を描写する芸術。目に見える表面的なものだけでなくて内面を味わうもの。同じくチュチュも不思議な世界が気にならなくなるくらいの美しい演出と音楽の連続です。(私はまどか☆マギカも舞台美術が心理描写を大きく担っているアニメだと思ってます。そういう部分も似てます)
衝撃の第2話、アリクイ美ちゃん
名物キャラ、猫先生
第1話の印象…
覇気のないオープニング、ウザいサブキャラ、テンポ悪い、寒い必殺技(ヒロインがバレリーナに変身して花吹雪舞う「花のワルツ!」を繰り出した時は吹いた)…は、話が進むと次のように変りました。
覇気のないオープニング→ 独特の雰囲気でいいじゃん
ウザいサブキャラ→ 平和な日常とシリアスな場面の対比。見ているうちに可愛く思える。
テンポ悪い→ その後めちゃくちゃドラマティックに。絵のレベルもアップ
寒い必殺技→ 1話以降出てこない。このお茶目さんw
とにかく1話の印象が悪くてごめんなさい。
■ 鳥ならではの純粋さ
「私と一緒に踊りましょう?」
こんなに最初2話までは退屈だったお話、主人公・あひるの魅力が引っ張ってくれました。注;お話が退屈なのは最初だけですよー
ぽわぽわして元気で、鳥のあひるらしい単純さとコミカルな動きもあり♪あひるが純粋なのは、同じく鳥の鶴の化身である「夕鶴」のヒロイン"つう"が純粋なのと同じく、正体が鳥だからなのかなぁと思います。
あひるは、私がこういう人になりたいなぁと願う、ある意味理想像のキャラでした。憧れの先輩みゅうとの彼女に対して「るうちゃんはキレイだからみゅうととお似合いだよ」と心から祝福できるくらいに素朴に周りの人の幸せを願うあひる、見ていてほんわか幸せな気持ちになります。落ちこぼれなのにウジウジはまったくなくて、明るく、どんな人の懐にもすっと入っていく素直さにすごく癒されます。
あひる(右)は人を寄せ付けないるう(左)にも臆せず近付きます
変身後の姿、プリンセスチュチュがまた理想の女性像で。穏やかな慈愛に満ちており、決して自分の意見を押し付けることなく人の心を解きほぐし、相手が自分の力で答えを見つけることを助けます。
彼女が手を差し出して「私と一緒に踊りましょう」と誘うと断れる人がいないのはギャクにすら思えたけれど、最終回での「一緒に踊りましょう」は涙腺決壊しました。この演出のために今まで誘いのマイムを繰り返したのかと見まごうほど。演出が素晴らしすぎます。
■ 弱い自分を受け入れる強さ
この作品で一番好きなのは、役立たずのダメ騎士の烙印を押されたふぁきあが剣を捨てて自分なりの方法で初志貫徹しようとするところ。普通の少年漫画の文脈なら「それでもオレは騎士なんだ!うぉーーー!!」とか叫んで気合いで運命に打ち勝つ展開だろうから。
思い描いたヒーローじゃなかった弱い自分を受け入れるのはそんなに簡単ではないです。幼い頃、私は女の子だったので、自分には本当は不思議な力があって変身できたりいつか不思議な小動物がアイテムを渡しに来たりするんじゃないかと夢見ていました。セーラームーン世代じゃなくてクリーミーマミ世代ですが。男の子なら変身ヒーローや超能力に憧れるのでしょうか。子供は今の自分は仮の姿で、本当の自分はすごいんじゃないかと空想するものです。
大人になるにつれ自分はそんな特別な力は持ってない普通の人間なんだと悟り、自分の持つ頭脳や体力や才能の範囲内で生きる道を探します、が、特別な自分でいられる夢の世界に心地よく浸っていたい人もいます。オンラインゲームで英雄視されることだったり、子供に「世界にひとつの」キラキラネーム(笑)を名付けることだったり、姫を名乗ったり、人々は特別になりたがります。
そうじゃなくて現実のありのままの普通の自分でいいんだよ、現実の自分が精一杯できることをしよう、と、ふぁきあとあひるは物語のヒーロー・ヒロインを降りるんですよ。王子様・お姫様じゃない自分を愛せないとしたら、本当の自分がかわいそう。
ふぁきあはあひるが本来の鳥の姿に戻ることに対して「その時がきても、ずっとそばにいてやるさ」と受け入れてあげられる。(ここのシーンも泣けるんだ…)優しくなければ強くなれない、と誰かが言っていましたけど、相手の弱さも含めて受け入れる優しさを持つふぁきあは現実に立ち向かう強さも持っていました。
夢見ていた特別な力を持つ自分。ふぁきあにとっては物語の騎士の生まれ変わりとして戦うこと。あひるにとってはプリンセスチュチュになって王子様と踊ること。お話の世界へと決別して本当の自分に戻ることは、ノスタルジックな感傷と寂しさを伴うもの。でも、誰もが通らなければならない大人への道。
「特別なわたし」像を壊すことは怖いけれど、ありのままの自分を愛せることは優しくて強くなれることなんだよ、と語られている気がします。
運命の歯車が動き出す、一番好きな場面。