Kオジサンの東海道旅日記・中山道旅日記

Kオジサンの東海道旅日記・中山道旅日記

2018年2月から2019年3月にかけて、中山道を踏破しました。
2020年1月18日から東海道を歩いています。

2024年1月6日に京阪牧野駅から大阪地下鉄谷町線大日駅まで歩きました。
その続き。大阪モノレール大日駅から地下鉄北浜駅までを歩きました。
今回の東海道57次の街道歩きを2023年3月19日に山科のはずれに位置する髭茶屋追分から歩き始めました。経済的に歩こうと思い、毎回青春18きっぷを使いましたので1年余りの歳月を要しました。
スタート地点へ向かい街道を歩いた後、帰宅するの繰り返しで4回踏破し、今回が5回目で最終回となりました。
前回終了した地点へ向かうのに阪急電車や大阪モノレールに乗りました。
JR米原駅 → JR高槻駅
     JR高槻駅 → JR摂津富田
                            
・・・・・阪急富田駅 → 阪急南茨木駅
                    ・・・・・大阪モノレール南茨木駅 → 大阪モノレール大日駅

初めて乗車する鉄道やモノレール。
事前に調べました。
 

大阪モノレール大日駅(スタート)   ― 淀川堤防 ― 大阪中央循環線下トンネル ― 
守口市水道局浄水場 ― 八雲北公園 ― 正迎寺 ― 智眼地蔵尊 ― 八雲小学校 ― 
児童公園 ―  府道155号線 ― 守口東高校 ― 守口の一里塚 ― 浜町 ― 
国道一号線 ― 八島 ― 文禄堤案内板 ― 高札場 ― 本町橋 ― 守居橋 ― 
義天寺 ― 日吉公園 ― 京阪東通商店街 ― 京阪国道 ― 太子橋 ― 今市 ― 
木犀の陣屋跡 ― 千林商店街 ― 森小路京かい道商店街 ― 森小路東公園 ― 
古市橋 ― 関目高殿 ― 野江国道筋商店街 ― 榎並地蔵 ― リブ・ストリート 
― 
JR京橋駅 ― 二人地蔵尊  ― 野田橋跡石碑  ― 京橋川魚市場跡 ― 京橋 ― 
京阪天満橋駅 ― 八軒屋船着場跡 ― 熊野街道石碑 ― 川の駅はちけんや ― 
常夜燈 ― 高麗橋 ― 大阪メトロ北浜駅(ゴール)
 



歴史街道推進協議会事務局発行 京街道ウオーキングマップ から引用しました。



米原駅で姫路行きの新快速に乗ります。



JR高槻駅 → JR摂津富田
高槻駅で新三田行きの普通列車に乗り換えました。



JR摂津富田駅 ・・・・・ 阪急富田駅
摂津富田駅で普通列車から下車しました。
そして、JR摂津富田駅から阪急富田駅に向かって歩いています。
見えてきたのは阪急電車の線路と阪急富田駅です。



阪急富田駅 → 阪急南茨木駅
普通列車で阪急富田駅から阪急南茨木駅へ向かいます。
左側は阪急富田駅に入線してきた普通列車です。
右は阪急南茨木駅に着いたところです。



阪急南茨木駅・・・・・大阪モノレール南茨木駅
阪急電車から大阪モノレールに乗り換えます。



大阪モノレール南茨木駅で、入線してきた門真市行きのモノレールです。




モノレールの先頭車両に乗りました。
モノレールからの眺めです。
右の道路は近畿自動車道の天理吹田線です。


大阪中央循環線下トンネル

(10:41)
近畿自動車道天理吹田線や府道2号線の下に位置するトンネルです。
ここから前回の続きが始まります。



淀川堤防に上がりました。


八雲北公園

八雲北公園のサクラ。



何処の公園だったか。
ベニバナマンサクが満開状態でした。




曲がった道が京街道らしく感じます。
左側は八雲小学校です。



(11:23)
府道155号線に出てきました。
この辺り。八雲西町です。


守口の一里塚

(11:20)
守口宿の一里塚跡の石碑です。



一里塚跡の一角です。
モクレンかコブシだろうか。
石碑の在る場所で咲いていました。




国道1号線に出ました。
ここは浜町です。


文禄堤 東海道五十七次の解説マップ

(11:28)
1号線の八島交差点から入ってきました。
文禄堤に東海道五十七次の解説マップが設置して有りました。



東海道五十七次の宿場町イラストマップです。
伏見宿、淀宿、枚方宿、そして守口宿が描かれ淀川を航行する十石舟。
下りは流れに任せて航行していただろうか。
上りは絵のように綱で上流へ引き上げていたのでしょう。



文禄堤。現在の守口市の姿と昔の姿の比較です。
右の犬の絵は守口市の市制70周年を記念して制定されたシンボルキャラクター「もり吉」です。
首に巻いているのが守口ダイコン。
手に持っているのも守口ダイコンです。
東海地方では木曽川が流れる扶桑町。長良川では岐阜市の則武地区で守口ダイコンが収穫されます。
守口ダイコンは淀川の柔らかい砂地で栽培されているのでしょう。名の通り、元々は守口市守口ダイコンの原産地で、愛知や岐阜に広がったのでしよう。




文禄堤の京街道。
曲がった道で街道らしさが出ています。



文禄堤の京街道沿いの古民家。
街道の雰囲気が有ります。



太閤秀吉が築いた堤防道・文禄堤
文禄堤を毛利輝元 、 小早川隆景 、 吉川広家 に手伝い普請を命じています。

正確に言うなら秀吉が毛利輝元 、 小早川隆景 、 吉川広家 に築かせた経緯があります。
ですから、秀吉が築いたのでなく、秀吉が毛利、 小早川 、吉川、の三家に築かせたと言うべきではなかろうか。



守口宿の高札場です。



文禄堤と守口宿高札場の解説。




民家の玄関先。
五十七次守口宿の幟旗が立っていました。



森居橋から眺めた文禄堤です。
堤防が切通しの切り口のようになっています。
堤防の高さや幅。
秀吉が三家に銘じて請負普請をさせた堤防。
トロッコなどが無い時代です。
土木工事に使うモッコ。
人力でやっていたのでしょう。

日吉公園

(11:41)
日吉公園まで歩いて来ました。
お年寄りが集まっています。
花見でもしているのだろうか。
近寄らなかったです。


京阪東通商店街

前方のアーケード街。
京阪東通商店街です。



アーケード街を歩きましたて。
左先の店。大亀屋です。
右も大亀屋となっています。
兄弟でやっているのだろうか。



大亀屋と言うくだものとやさいの店。
新じゃが150円。北海道メークイン100円。
新玉ねぎ150円です。袋に3個入っていました。
この先、重い物を背負って歩くのはと思いましたが、新じゃがを買いました。



岸田屋菓子店と言うお店です。
左のひとくちカステラを買いました。
93円で税を入れて101円でした。



東成区の第1561号線を歩いてます。



地面にはめ込まれた京かいどうの地図です。



旭区の千林商店街を過ぎた辺りです。
森小路京かい道商店街を歩いています。



電柱にも京かい道の表示が有ります。
森小路京かい道商店街が続きます。



こちらは森小路東公園に設置して有った京かいどうの石碑。
右が解説。
左は地図となっていて、
古市橋

ふるいちはし」の袂と近くに有った京かいどうの石碑。



(12:34)
城北川に架かる古市橋です。
橋の上に古市橋の解説板が設置して有りました。



(12:54)
旭区高殿辺りを歩いています。
前方の高架はおおさか東線です。



曲がった道。
都島区都島本通りあたりを歩いています。



榎並地蔵

榎並地蔵まで来ました。




榎並地蔵に設置して有った「歩こう京街道」の地図が掲げて有りました。


リブ・ストリート(京橋中央商店街)

リブ・ストリート、またの名を京橋中央商店街と言います。
アーケードの商店街を歩きます。



(13:27)
リブ・ストリートの端まで来ました。前方は京橋交差点です。
高架の鉄橋に京街道と描かれています。
これは大阪環状線の鉄橋です。
このアーケード街、Beghi  Kyobashiとなっています。
この場所の右側。「真実の口」が有ったのですが、見落としてしまいました。
信号が変わったので進んでしまったのかも知れない。



JR京橋駅の横を歩きました。
この辺り。
沢山の人が居ました。


二人地蔵尊

(13:35)
前方に見えるのが二人地蔵尊です。
街道が二股になっています。
右に進むか左に進むか迷いましたが、右で先へ進みました。
左の道が京街道でした。


京橋

府道168号線から見た京橋です。
江戸時代に街道の起点となった橋です。
また大阪城の入口でも有りました。


京橋川魚市場跡

京橋のたもとに有った京橋川魚市場跡の石碑と解説文です。




こちらは都島区のおもな史跡・旧跡。
この解説板も京橋の袂に設置して有りました。



京橋から眺めた寝屋川。
タワーマンションが



大阪城京橋口です。
タクシーがお客を迎えに来ていました。


京阪天満橋駅

天満橋筋から眺めた京阪天満橋駅です。
交差点の北西に位置します。



(14:07)
府道168号線
を歩いています。
前方に見えるのが永田屋本店と言う昆布の店です。


八軒屋船着場跡

八軒屋船着場跡の石柱です。
永田屋昆布本店と言う昆布屋さんの前です。


川の駅はちけんや

京街道から外れて大川の方へ来ました。
この場所。「川の駅はちけんや」と言う所です。
八軒屋船着き場跡を解説しています。



大阪ダッグツアーの水陸両用バス。
愛嬌を振りまくマスコット。


常夜燈

対になった常夜燈が有りました。



常夜燈の下の部分です。
八軒家のいわれが描かれています。



大川のゴミを回収する清掃船です。
船体に書かれている第9清河丸の名が読めます。



見かけたソメイヨシノです。



(14:27)
歩いて来た方向を振返りました。



前方に見える橋は天神橋です。
黄色い重機が見えますがアソコが中之島です。



高麗橋

(14:34)
遂に高麗橋まで到達しました。
里程元標があり、京街道を始めとする主要街道の起点。



高麗橋の解説です。



高麗橋の上の高速道路です。
東京の日本橋の上に高速道路が有りましたが、高麗橋の上も高速道路が覆っています。



高麗橋を渡ってきました。



この船、伏見の本材木町と南の三栖閘門の間の濠川を運行しており、三栖閘門へ着いたところです。第2回23.03.29丹波橋駅から石清水八幡宮駅まで歩いた時に見かけました。
大阪が八軒屋船着き場跡となっており、京都の伏見を結んでいた三十石舟や十石舟。
先に見かけた事と今回とが結びつくのが面白いです。
淀川の水上交通史はどんなもので有ったのだろう。
興味が湧きました。



スタート時の歩数とゴールしてからの歩数です。
歩いた歩数の比較で2満歩余り。15㎞程を歩きました。



最後に
前回終了した地下鉄の大日駅へ向かうのにJRから阪急に、そして大阪モノレールへと乗り継ぎました。初めて乗る鉄道でした。下調べをして乗り継いだのですが、このように出来たのが面白かったです。
守口市の文禄堤を歩いていて守口ダイコンを首に巻いた守口市のシンボルキャラクター「もり吉」を見かけました。漬物用となる守口ダイコン。Wikipediaで検索したら、今の時代は愛知県の扶桑町が大生産地でその他に各務原市の川島地区。岐阜市の則武や島地区で生産されていると有りました。守口ダイコンが廃れてしまった守口市は復活に取り組んでいると有りました。
このようなことを知ると言う事が面白いです。
今回歩いたコース。
始めはアーケード街となった商店街を歩きました。それが段々大阪の中心部となりました。
やっとたどり着いた最終目的地の高麗橋。
季節を感じての街道歩き。
アーケード街の中の店を見ながらの街道歩き。
大工事であっただろうと想像出来る文禄堤。想像するのが面白いです。
1年余りを掛けての街道歩き。
達成感を感じています。