ちょっと思ったことを、自分への戒めの意味も込めて文章で残してみます。
私って〇〇な人だから
よく「私ってこういう人だから」と言う人がいる。
でも「私は明るい人だ」と言ったとして、周囲にテレビで見るさんまさんやザキヤマさんのような人しかいなければ、その看板を掲げ続けるのは、かなりハードルが高い。
何か一つのことに打込み、その道を極めた人を心から尊敬する。好きなコトに夢中になったり、自分らしいこだわりを貫く人も素敵だ。偏食や推し活なども、振り切った人は称賛に値する。
なぜそういう人に憧れ、羨ましく思うのか。
それは自分がそうじゃない事と、そういう人が少数派だからだ。
大人になって価値観が変わったり、途中で違うことに興味がでたり、環境が変わったことで好きなものや大切にしたいことが変わる。それが人という生物の特徴でもあり、変化に順応する事で生き延び繁栄したのだから、大多数がそうなのだ。
タイパも、情報処理能力の速さが求められる時代に適応しようとしているのかもしれない。
サンクコスト効果

行動経済学でいうサンクコスト効果(コンコルド効果ともいう)は、何かをやめるときこれまで費やした時間や労力が無駄になると感じて、続けることにこだわってしまう心理。
例えば、私は江戸っ子だから醤油ラーメンしか食べない。と宣言したとする。
そうして何年も過ごしていたある日、すごく美味しそうな味噌ラーメンに出会うとする。ここでそれを食べると今までブランディングした自分が崩れる、という気持ちもその一つ。もしくは、脳が反射的に味噌ラーメンを食べたいと思わないようするかもしれない。
過去に費やした時間に縛られるように、過去の自分の宣言に縛られることもある。でも前にそう言ったからといって、今の気持ちまで整合性をとる必要はない。
投資の世界では戒めとして「過去に囚われず、未来の利益や機会コストを基準に意思決定することが重要」と言う。
それでも尖ったり、特徴を出さないと自分が何者か認識してもらえないという恐怖、大多数の中に埋もれてしまう恐怖を感じて、その特徴を守り続けようとする。
一つのことをコツコツ続ける人や、他のすべてを犠牲にして何かに人生を捧げている人は、時にSNSで注目され、脚光を浴びたり称賛されたりお金を稼いだりする。
一方で、その人の不祥事などが発覚すると一気に糾弾するのは、
どこかで自分には出来ないことをやっている人は、そのままずっと他を犠牲にし続けてほしいと願っているからかもしれない。
日ごろ同調圧力が強い社会で生きている中で、自分と違う生き方が出来る人が、自分の想像を裏切る行為は許せない。
自分もそういう人になりたいと思っていたりしたので余計に。
一方で他の人と同じだと安心するのは、どういう事なんだろう。
川の流れのように
「川の流れのように」「時の流れに身を任せ」「ケセラセラ」など、私より少し上の世代の人たちに馴染みの歌がある。ケセラセラは最近もヒット曲があるか。
人は途中で飽きたり、心変わりしたり、矛盾した判断もする。
前はこう言っていたけれど、違うことをいう時も多々ある。
あんまりコロコロ変わりすぎると信用を無くすけど。
自分が何者かを自分で決めなくても、周りの人は違いを認識してくれている。個性の看板を立てなくても、それは日々暮らしの中で、自然に滲み出ている。
時の流れに身を任せ、川の流れのように生きていていけば、ケセラセラ、なるようになる。
あ、もちろん何者かになろうとして、何者かになれると信じて突き進むことは大事。その中から一握りの人は本当に何者かになるし、そういう人がいてくれるから、自分もなれるんじゃないかとみんな頑張れる。

サンクコスト効果が大事な一方で、あきらめずに努力を続けることである日、ブレイクポイントを迎えられることも確か。(迎えられないことも往々にしてある)
でも、もし何か途中で挫折したり、自分に個性がないとか、一貫性がないとかで悩むくらいなら、人は変わる生物だと思えると、ちょっと楽に生きていけて、自分も他人も許せるようになる気がする。知らんけど。
