ある夜不思議な夢を見た
真っ暗闇で浮いているのか立っているのさえ
わからないような無感覚の中で
僕は心許なく ただそこに佇んでいるだけだった
でもそのずっと先の方が何となく
薄明るい・・・光と言えないほどの明るさ
ふと声が目の前にいた
「金はな、人を幸福にした分だけ返ってくる」
「ただそれだけのことだ」と・・・
そして気づくと僕は自分の部屋の天井を眺めていた
真っ白な何もない部屋・・・
お金というものはそもそもが
人の幸福の対価でしか払われない
僕達が生きている社会は
人の幸福を満たすことで成り立っている
僕達は毎日電車に乗って通勤する
電車賃を払い電車に乗る
3~4駅なら大体140円あれば行ける
何故金を払ってまで電車を使うのか?
「140円で目的地まで行ける」という
満足が得られるからだ
洗濯機や掃除機、電子レンジや液晶テレビを買う
毎日衣類を清潔に保つ、という幸福
住む場所を綺麗に保つ為の道具
食を満たすという幸福
情報や娯楽という満足を得るための道具
これらは全て僕達の日常に
当たり前にあって当たり前に使い
当たり前に消費しているものだ
それらの道具の精度が高ければ高いだけ
より大きな幸福を得るに値する
・・・だから僕達はお金を払う
払ってでも欲しい幸福だからだ
それを払う価値があると判断するからだ
そして何より便利だ 楽と幸福が結びついている
好きな音楽のCDを買う
この行為だって裏を返せば
それだけの幸福を手に入れたいという欲でしかない
電子化されダウンロード形式や
レンタルというスタイルで落とす金額と
実際にCDそのものを買う金額では
大きく差が出る
そこには得られる幸福に差があるからだ
CDのジャケットを作るのにかかる時間と労力
それはそのCDを手にしてしまう僕らには
計り知れないものだ
そしてそこに込められた全てを対価を払って手に入れる
その金はどこへ行く?
アーティストだ
制作者だ
製造者だ
そのものに関わった人達に還元される
その金は汚いのか?
NOだ
汚いわけがない
僕達がお金で買うという行為
これは「僕」に変わってたくさんの時間と労力を費やし
便利という幸福だったり娯楽という幸福を与えるツールを
作ってくれた人への「ありがとう」だからだ
僕達は金で「ありがとう」を届けている
彼らは僕達の幸福の為に頑張ってくれている
「僕」も「君」も「ありがとう」を受け取っている
「僕」も「君」も僕達以外の幸福の為に頑張っている
続く...