行動には必ず理由がある


最近おもうこと



先生1年生と授業に取り組んだり

子どもと向き合ったりしている

指導のために子どもの行動を理解しようとするとき

「なぜそうしたと思う?」

「あなたがA君だったら、どんなことを感じてるやろうか?」


そこで出たのが

「行動には理由がある」という言葉

そう気づいてくれてうれしいなぁ

そやで障害のある子どもも同じ

表現方法が独特だけど

理由がある意図がある意思がある

おんなじやで!

勝手に問題行動とか言って

誰かのせいにするような言い方見方していては

その子がどんな状態か見落としてしまうやんねぇ




良い先生になりたいとみんなが思う

良いって誰からみて?

良いよりも必要なことない?

子どもはそれぞれ違うので

答えはないんよ

ただ信じて可能性を目覚めさす

さあどうする?それが先生のおもしろい志事のひとつ

まあ、おもしろいからこそ色んなことあるし起こるけどね😝


ここでばたさんのポジショニングが役立つ

この行動って愛の選択?恐れの選択?

それに気づいて子どもを見れるだけで

見方が変わることに気づく

そして経験の少ない自分の向き合い方は

愛か?恐れか?が見えてくる

すごくない?



ありがたいことに令和元年のフレッシュマンと一年を過ごしている

三十数年先生業をしているけれど

この役割をもらうときは

わたしでいいのか?と考えた

一緒に学び直しなさいと受け取って伴走している

生徒に伝えるのと初めての先生業で息子と同い年の若人とともに

歩く日々は学びの連続(相手は到底そう感じていないらしい)


4月当初の悩みと今の悩みは変化してきた

自分や子どもたちの変化に一喜一憂しながらも

こんなこと言ってたよ


「まるで箱の中に色んな色のビーズがぐちゃぐちゃに入っていて

 じゃらじゃら転がっている。

 いつまで続くんだろう?」


今が正念場

先生業は授業だけではない

校務も行事も学年の仕事も研修もあるしね

見通せない先生1年生は一大事です

授業の準備ができずに不安でいっぱい

体験して味わって

不安を手放すことを知るチャンスなんよね

変わってあげられない

けど

一人じゃないよって云いながら