自分が好きな歌手、スポーツ選手、YouTuber、芸人をもっと早く知っておけばよかったと思うときがある。また、人以外でも本や建物、土地、物も同様に思うときがある。極端だが、仮に幼少期に出会ったとして、それらを好きになるだろうか。僕の場合、エレファントカシマシやFischer’sを3歳に出会ったとしても好きにはならないと思う。好きになったのは僕が悩みに押し潰されそうになったときに好きなことを心の底から好きになる大切さ、全力で取り組む大切さを教えてもらったから。つまり、その当時の自分と3歳の自分では、言葉は失礼かもしれないが、彼らの価値が異なる。


自分が出会うすべての物、人の価値の大きさはタイミングによって決まると思う。出会った時の心情、環境、行動の組み合わせにガチっとハマる最後のピースとなるものが自分にとって価値が大きいものとなる気がする。それは人によって異なる。


その最後のピースが価値が大きいからと言って、客観的に良いものとは限らない。悪いものである可能性は十分にある。例えば、麻薬、詐欺、窃盗、誹謗中傷。誰もが心身ともに健康な状態なら絶対行わないと思う。しかし、自分を取り巻く環境により、少しずつ心身が歪んでいき、悪い意味でその環境に染まっていく。いや、無意識に染まらずを得なくなっているのかもしれない。その環境が新たな環境として入ったなら、違和感を覚え、抜け出すことが出来るかもしれない。しかし、生まれながらにその環境が当たり前になっている場合、悪を悪と認識できない。周りがそれを安直に悪と決めつけることは、その環境にいる人たちの「生」を否定することになる。だから、周りの人たちは悪の根源を見つけ、悪の環境にいる人たちを救う手段を選択することが大切だと思う。


一方、その環境にいる人たちは今まで当たり前だった環境の外の世界へ視野を広げることが大切だと思う。そうすれば、理性が働き、主観的にも客観的にも良い価値のあるもの、人と出会えると思う。その出会いも人それぞれのタイミングでいい。そのため、人によって成長するスピードに違いが生まれる。他人と比較して、嫉妬心を持たなくていい。


もしかしたらこの価値の大きいピースの出会いを繰り返すことで、自らそのピースを「出会い」から「選択」へと変えることが出来るのではないだろうかと考える。

自分の心情の変化の仕方、環境の特徴、行動の幅を認識することで、最後のピースの見当がつく。それが可能になれば、「タイミングが来るまで」ではなく、「タイミングを作る」ことが出来ると思う。そうすれば、自分にとって価値のあるものがどんどん増えて、夢や目標ができ、それに挑戦する情熱が生まれ、毎日が楽しくなる。


妙にセコセコ生きて 楽しくなくて 昨日と同じで

君と出会う前まで キモチ張りつめ 折れそうだったよ

小さなこと いちいちムカついて
笑い方も なんだか忘れてしまってた

ヒトも街も宇宙も まわれまわる“タイミング"
ヘンにね合わせ過ぎても たぶん辛いだけさ

たまに間のワルさも 大事なんだね“タイミング"
君と僕のシアワセ 笑いながらいこう


Timing〜タイミング〜(ブラック・ビスケッツ)