何だろう、この感覚は。初めてだ。


今までは積み重ねてきたものが突如成果として表れて、その時に成長を大きく実感していた。そのような「点」における成長の実感に限り、点と点の間での成長を実感していないわけではない。しかし、その間における成長は成果がすぐ表れる即効性は0で、遅効性が100。そんなことはわかっていた。でも、期待の裏返しとして、落胆を毎日味わってきた。それを繰り返すことで、継続する大切さを知り、うまくいかない状態を受け入れる心、その状態を覆そうとする心を養ってきた。だからこそ、点における成長を実感できたときの快感は半端じゃない。


その状態は先週までの話。今は、点における成長の実感だけでなく、毎日点と点の間における成長を大きく実感している。もしかしたら、毎日のそれが点における成長の実感なのかもしれない。どちらにしろ、成長速度がここにきてさらに上がっていることは間違いない。加えて、今までいくつもの発見・研磨させてきたものが結び付き、さらなる進化を見せ始めている。今新しいブレイクスルーの線が見え始めて、それを越えようと水銀温度計のように着実に向上しているのをひしひしと、みしみしと感じており、全身がうずうずしている。必ず越える日が来る。こんな感覚は初めてだ。


『ベイビーステップ』の丸尾対岩佐の試合においての三浦コーチの言葉にすごく共感できた。


パズルの一部が組み合わさると

その周りが見えてきて

使い方がわからなかったピースの意味が見えてくる

そして完成に向け一気に加速する


さらに、丸尾対荒谷の試合後の岩佐が丸尾に言った「人生を懸けて何かを目指すなら『楽しい』って感情より前に進む原動力になるものはないと思う」という台詞も最高だ。


作品に出てくる言葉・意思・意識から刺激を受けると、作者の人生に興味が湧いてくる。

歌もそうだ。同じ人が作るいくつもの歌詞を読むと、その人の人間性や考え、感情が少し見えてくる。メロディ以外にも歌を聴くことにはそのような楽しみ方がある。


人が作ったものにはその人の魂が宿っている。それは、人自身にも言える気がする。一人一人に人生と共に積み重ねてきた感情や考え、信念がある。それが個性と呼ばれると思う。音楽や映画、漫画はお金における順位はつくが、作品自体には明確な順位は付かない。なぜなら作品によって、手掛ける人が異なり、一人一人が持つ個性が違うから。


しかし、人間関係になると、他人の個性に順位をつけるどころか排除してしまう人がいる。「一般的に」、「普通は」などと集団で円を作り、その弧の外にあるものを亡き者にする。

一人一人個性という円を作り、他人と触れ合うことで円を重ねて、個性を共有すれば、もっと自分の円が大きくなり、多くの他人の円と重なり合うことが出来ると思う。これが「出会い」のような気がする。