本を読む、YouTube・テレビを観る、ネットで検索するなど様々な手段で情報を手に入れることができる。


それらの情報がそのまま自分の武器になるとは思わない。手に入れた情報を自分の経験に基づいた感覚や信条に取り入れることで武器になると思う。それを言い換えると、個性になるのではないだろうか。


情報の入手という自分の外においての行動だけでなく、日常的に思考や想像するなど、自分の内においての行動をしておくことも大切だと思う。

どちらか一方に偏ると、前者の場合、「無個性」や「信念がない」状態になってしまう。後者の場合、「井の中の蛙」、「視野が狭い」などと呼ばれてしまう。


僕は起きているとき、動きながら「この歩き方でいいのかな」、「もっと楽に動こう」などと考えている。仕事や他の人との会話中においても頭の片隅にある習慣が身に付いてしまった。自分の内だけでいいアイデアが浮かぶことはある。

しかし、たまに本に書いてあることを実践、イメージすると、習慣化している自分の思考に基づいた感覚や信条と自然に合わさり、画期的なアイデアが浮かぶ。外の世界にはたくさんの輝くものがあることに気がつく。また、その瞬間、心の底から何か湧き上がるものを感じる。それは一言では言い表すことのできない感情だ。


大きな期待を持って、そのアイデアを練習や勝負で試してみる。結果、全くできない。

理由は簡単。習得していないから。無意識にできて、初めて習得と呼べる。その無意識にできるようになるまでには時間がかかる。だから、浮かんだアイデアをすぐ試しても、上手くいかないのは当然。

結果だけ見て、上手くいかないから無駄なものと捉えるのはあまりにももったいない。

ダイヤモンドが石ころになってしまっても、それを捨てずにポケットにしまっておくと、いつかさらに輝くダイヤモンドになる時が来る。


続けることはとても大切。途中で諦めてしまったら、その石ころさえも手元にない状態になり、自分には何も無いと自己嫌悪や自己否定をしてしまう。

数字や評価を注視し過ぎて、他人や物事だけでなく、自分自身でさえも「必要か無駄か」と判別すると、「将来」の夢が叶わないどころか、「現状」に充実感ややりがいが無くなったり、「過去」に対して、後悔を持ち続けたりしてしまうと思う。


石ころがダイヤモンドになる瞬間は思いもよらないときに来る。その瞬間が来るまでひたすら挑戦あるのみ。その後もダイヤモンドとしてあり続けるために死ぬまで挑戦あるのみ。