♪フランシーヌの場合は~あまりにもおばかさん♪という歌が流行ったのは昭和44年のことでした。パリの学生街カルチェラタンで学生たちが反戦運動に立ち上がったころ、1969年3月30日の日曜日のパリの朝に、フランシーヌという名の女子学生がベトナム戦争とナイジェリアのビアフラ飢餓に抗議して焼身自殺しました。これをテーマに新谷のり子さんのうたった歌が「フランシーヌの場合」です。


 フランスの学生たちが久しぶりに燃えました。企業が26歳未満の若者を雇った場合、試用期間の2年以内ならば理由を通知せずに解雇できるという「新規雇用契約(CPE:Contrat de Premier Embauchement)」という政策に反対して、法案を撤回させてしまったのです。06年3月末に数十万人の学生がフランス各地の街頭に出てデモをし、約半数の大学が学生によって占拠されました。これに労働者も呼応してゼネストを行い、4月2日に法案は公布されましたが、4日には二度目のゼネストが行われ、暴徒化により数百人が逮捕されるという事態にまで発展してしまい、10日、ついにドピルパン首相は撤回を表明したのです。


 CPEは若者に就業とOJT(On the Job Training)の機会を与えるために、企業が若者を雇いやすくする条件を整えようとした法律でした。しかし学生は「試用期間後の理由を示さない解雇を可能とする」条件を拒否したのです。この条件は、能力が未知数の若者を採用させられることに企業が抵抗してつけられたものなのです。


 いまフランスは優秀な研究者・技術者の確保に頭を悩ませています。フランスは高等教育の大衆化が遅れて若手研究者の育成に失敗し、一つのポストを二人で分担して労働時間を半分にするというワークシェアリング制度により熟練技術者の職場離れが加速し、さらに優秀な研究者はアメリカに流出しても帰ってこれない、という状況に苦しんでいます。


 フランスでは高等教育への進学率は41%、しかし大学に進学できるのは同世代の人口の10%程度にすぎません。主要先進国の高等教育進学率は、アメリカ47.6%(99年)、イギリス60.0%(00年)、ドイツ47.6%(99年)、日本49.9%(04年)となっています。日本の4年制大学への進学率は80年代にほぼ25%で安定していたものが、90年代に急上昇して現在は約40%(男子44.0%、女子34.5%)となり学力低下が問題となっているのに、フランスの大学進学率はかなり低い。しかも大学は知識を再生産する場であり、また哲学や数学や理学などのフロンティアを拡大するための機関であり、法律や行政、ビジネスや技術開発などの実務に携わる人間を教育する場ではありません。このため大学時代に学んだ知識や技術が職業に活かされないという点では日本もひどい国ですけれども、フランスは日本に次いで低い国となっています。


 一方では熟練技術者や経験を積んだ研究者が「若者に機会を与える」ために職場から消えていっています。給料が高い年寄りが労働時間の半分を若者に譲り、経験のない若者に就業経験を与え、つぎの就業機会を見つけやすくしようというのです。このため企業や研究所に勤続35年以上のシニアの研究者・技術者はいなくなってしまいました。55歳からは半分の時間しか職場におれず、早期退職勧告で60歳定年がふつうになっているとのこと。OECDの調査によると、03年時点で日本の労働力人口は6666万人、フランスは2694万人、日本の約4割です。15歳以上の人口に占める労働力人口の割合は日本が60.8%、フランスが56.1%となっています。しかし60代前半ともなれば、日本の54.8%に対してフランスは16.1%となってしまいます。自発的に早期退職した者には政府から一定額の手当てが支給され、また年金制度も寛容で60歳から支給されます。老後を楽しんで生きていけるわけですから、羨ましいかぎりです。


 労働者にとってフランスは極楽といっていいかもしれません。ILOという国際労働機関があります。これにフランスはもちろん日本も加盟しているわけですが、ILO基本条約なるものをフランスはすべて批准しています。日本は、結社の自由と団体交渉に関する条約と児童の労働に関する条約は批准しています。しかし強制労働をできるかぎり廃止することを目的とした条約は批准しても、強制労働を即刻かつ完全に廃止するための措置をとる条約は批准しておりません。また雇用と職業における差別の排除についても、性別による差別はしないことにしておりますが、人種・皮膚の色・性・宗教・政治信条などに基づいて行われる差別待遇を廃止するために必要な政策をとることは約束しておりません。アメリカは強制労働を廃止すること、最悪条件での児童労働を即刻撤廃する条約は批准しておりますが、その他の条約は批准しておりません。ということでフランスの労働者は手厚く保護されているのです。たった一つの問題は労働者になれないということだけです。若者の失業率が25%となっているのも、このような社会制度が背景にあるからです。


 企業は能力があり優秀で即戦力となる人材が欲しい。しかしいったん雇ってしまえば、終身雇用で面倒をみなければなりません。あとになって気に入らないからといって企業の都合だけで従業員の首を切ることはできません。ですから企業は職業上の能力が未知数の若者を採用することに慎重にならざるをえないのです。日本みたいに大学新卒者をいっせいに雇って、仕事を教え育てていくなどという社会慣行はありません。それどころか能力が未知数の人材を採用したら、株主から企業責任を問われてしまうのです。若者には就業の経験も仕事の実績もありませんし、職業専門家としての実力がない若者はいつまで経っても就職できないことになってしまいました。


 フランス人はビールもコーラも嫌いだし、英語はしゃべれないし、なのに若者はアメリカをめざします。優秀な研究者も技術者もアメリカに流出しています。しかも出ていったら帰ってくるところがない。フランスの頭脳流出、ブレイン・ドレインはかなり深刻です。


 フランスはEUの盟主としてアメリカに対抗しようとしています。EUの市場統合の過程で、市場を奪われないように域内から海外企業を締め出しました。市民の生命や健康の維持といった一般利益は経済利益よりも優先されるべきであり、食品・医薬品・情報通信・大量破壊兵器などの社会的市場においては、政府が法規制や政府調達あるいは人材育成などの社会的規約を作ることにより科学技術に介入する、というのが正義の旗印です。とくに経済利益だけを追求する野蛮なアメリカ企業を牽制しました。しかし結果は、規制などにより保護されたEU企業は競争力を失ってしまいました。新商品の開発とか新たなフロンティアの創出を忘れてしまい、EU経済は弱体化してしまったのです。EUはITを梃子にして、研究開発により新たな知識と技術を産みだせる知識社会を再構築しようともがいています。GDPに占める研究開発支出(02年)の割合はアメリカ2.67%、日本3.12%、EUが1.83%となっています。これをEUは2010年までに3%にひき上げようというのです。しかし財政再建が課題となっているフランスやドイツがどうやって費用を捻出するかが問題です。それよりも研究者がいないことがずっと大きな問題です。


 そこでフランスは日本に目をつけました。ERA(European Research Area:欧州研究空間)という構想があり、日本企業へのラブコールを強めています。EUには立派な研究施設がたくさんありますよ、日本の劣悪な研究環境で苦労をしている若者のみなさん、こちらにいらっしゃいませんか、すぐにでもいい成果をあげられます♡。もの造りで優秀な日本の中小企業さん、熟練技術者をつれてEUに進出しませんか、能力が未知数の若者になんとか最初の就業機会を与えてください、OJTにより技術ノウハウを移転していただければ幸いです。


 ♪ホ、ホ、ホタル来い、あっちの水はにがいぞ、こっちの水はあまいぞ♪ フランスはかつて日本人をウサギだとバカにしておりましたが、今度はホタルにされちゃいました。