宇宙航空研究開発機構(JAXA)が「宇宙連詩」というプロジェクトを始めました。06年10月から07年3月まで半年間、宇宙に関する連詩を一般公募して毎週1詩を選び、全24詩を編集して国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」に保管するというものです。科学の進歩により未知の世界が次々と解き明かされている現代でもなお、宇宙は私たちの好奇心をかぎりなく刺激し、また無限への畏怖を教える存在でもあります。「宇宙連詩」は、宇宙について、地球について、生命について、国境と文化と世代と専門と役割とを超えて、ともに考え、協働の場を創りだしていこうという試みです。


 

「連詩」は日本の伝統文化である連歌や連句を発展させて生まれた形式であり、5行詩、3行詩、5行詩…と繰り返していきます。直前の詩のなかから言葉やアイデアをつなげていきます。連詩の生みの親である詩人・大岡信さんが宇宙連詩を監修します。10月10日に冒頭の3詩が発表され、第4詩が公募されました。私も応募いたしましたので、没になるまえに、紹介いたします。


01 山崎直子(宇宙飛行士)
われら星の子 宇宙の子
海に生まれ大地に育ってきたわたしたちの体には
はるか百数十億年の
宇宙の歴史が刻まれている
ほら今日もどこかで小さな光が


02 谷川俊太郎(詩人)
住所は村ではない 町でも県でも国ですらない
住所はこの惑星 そして銀河系
光にみちびかれ 闇にひそむエネルギーに抱かれて


03 大岡 信(詩人・監修役)
太平洋を回遊するカツオの群れも
砂を蹴って駆け去るキリンの足も
生きるとは 動くこと 鼓動すること。
モンゴルの包(パオ)のフェルトが 今誕生した 赤んぼの
元気のいい泣き声に 鼓動している


04 工藤君明(応募中)
赤ちゃんはかわいい 泣いても笑っても
そのたびに周りは 大慌て大喜び
人類も生まれたばかり だけど元気いっぱい

 赤ちゃんはどうしてかわいいのか。人にかぎらず、猿や豚でも赤ちゃんはかわいい。生きていく力が弱いのだから、かわいくなかったら生きていけないという説もあります。弱い子どもを保護しなければ種は死に絶えてしまいますから、かわいいと感じる本能が進化してきたのでしょう。赤ちゃんは生後2~3ヶ月もすればアーとかウーとか、まだ言葉になっていない音、喃語(なんご)を発するようになります。英語ではcooing(クーイング)といいます。3~4ヶ月すると、アーアーと人に呼びかけるようになり、表情をもちはじめます。赤ちゃんに意味はわからなくても、赤ちゃん言葉で積極的に話し返すことは赤ちゃんの言葉の発達にとってきわめて重要であるらしいことが最近わかってきました。母親は本能的に赤ちゃん言葉で話しかけているみたいですが、そうでない人も恥ずかしがらずに話しかけてあげましょう。


 赤ちゃん学というと、伝統的には生物学としての神経科学的なアプローチとか、行動・発達心理学的アプローチなどがあります。ところが最近ではロボット研究者が赤ちゃん学を盛んに研究するようになってきました。とくにロボットが外界をどのように認識するのかという観点からの研究者がその研究成果を踏まえて、赤ちゃんの発達を理解しようと試みています。なにを考えているのか、どう感じているのか、赤ちゃんはうまく表現することはできませんけれども、ロボットならいろいろと調べてみることができます。このような手法を構成的アプローチといいます。


 従来の科学的手法は分析的であり、赤ちゃんという総体を理解することよりも、そういうものをはぎとり客観的な要素を見つけだすことを得意としてきました。構成的アプローチでは、要素群のあいだの相互作用を構成し、その全体システムを客観的な対象として考察できるようになります。つまり赤ちゃんという主体性を失わずに客観的な研究ができることになります。また逆にこのような研究からロボットにはどのような能力や構造が埋めこまれるべきかという設計論への応用も期待できるのです。


 赤ちゃんの発達過程を外部から観察すると、さまざまな能力が異なる速度で、質的にも量的にも漸次的に変化していきます。中央統制的ではなく、分散的であり、それらの相互作用により組織化され、全体として調整された過程となります。さらに重要なことは、発達過程の後段の構造が不完全で効率の悪い前段の構造と行動表現の上に構築されていくことです。完璧な要素から構築されていく機械は故障しやすいのに、生物の適応性が高いのはこのような構成になっているからです。


 赤ちゃんの能力は限られています。しかしこのハンディが多様な能力発現の下地になっていると考えられています。目の画像分解能やコントラストや色知覚の感度が低いために、徐々に鮮明になっていくよう発達していきます。言語習得に関しても、母親のオウム返しによって赤ちゃんの発声が促され、コミュニケーションが成立していくと考えられています。


 ハンディがあるから細部の細々したことは理解できなくても全体が把握できるのです。耳が遠くなると悪口が聴こえるようになる、目が悪くなると人の心が見えるようになる、と古来よくいわれてきました。ただし、年をとると聴力低下が高音から始まり、甲高い声は聴きとりにくくなるという理由ははっきりしています。ひそひそと低い声で悪口を言うと聴こえてしまうのです。ですから年寄りの悪口を言うときには大きな高い声でするほうが安全なのです。着信音に高音を使えば、先生に見つからずに携帯電話できるという商品がアメリカで大ヒットしているそうです。


 赤ちゃんはアーとかウーとか音を発するだけで、まわりの大人が大騒ぎしているのをじつは楽しんでいるのではないかと考えられています。いきなり話は変わりますが、北朝鮮が核実験を強行して、全世界が大慌てで経済制裁をしようとしています。きっと世界がどんな結論をだしてくるのか楽しんで観察しているのではないでしょうか。相手にするな、無視をしろという意見があります。しかし「ぼくは核を持ってる」と言ってるのに世界がせせら笑っているばかりなので、悔しくて能力のあるところを見せつけたくて核実験をしたのではないかともいわれています。ここは赤ちゃんに話しかけるように、赤ちゃん言葉でコミュニケーションをとっていくのが正しく成長させていくことなのではないでしょうか。憎たらしい赤ちゃんもいないわけではないのですが…。

(補記)宇宙連詩第4詩の入選作は、あさのしゅん君(小学校2年8歳)の作品でした。
広くはてしない空間に
ぐうぜんたんじょうした
ぼくはどうしてここにいるの