野山を歩いていると、どこかしらでウグイスがホーケキョとさえずる季節となりました。まだ鳴き方がへたくそです。これからだんだんとうまく鳴くようになっていきます。というのは正しい鳴き方というものが頭のなかにはあるのですが、なにしろ半年以上も鳴いていないため、鳴くための筋肉が衰えていて、これから調整していくのです。松に鶴、梅にウグイスといわれますけれども、梅の花の蜜を吸いに集まるのはメジロです。メジロをウグイスと勘違いしている日本人は多いようです。メジロは明るいオリーブ色をしていますが、ウグイスは茶褐色です。メジロは目の周りが白いのが特徴です。


ウグイスは群れになりません。メジロは秋から冬になると群れをなして木にとまる習性があり、その様子を「目白の押し合い」と言っていたそうです。そこから子どもたちが一列に並んで押し合いへし合いする遊びを「目白押し」というようになり、いまでは多くのものが混みあって並ぶという意味になりました。メジロはチーチーと地鳴きをするだけで、さえずりません。スズメのチュンチュンと同じ鳴き方です。ウグイスはコマドリ、オオルリとともに日本三鳴鳥の一つとされています。どうしてさえずるのかというと、一つはメスへの求愛、もう一つは縄張りの主張です。メスはさえずりませんが、さえずるのがうまくて縄張りを主張できるオスとつがいになります。それでオスは必死に歌がうまくなろうとするのです。林のなかで、ウグイスがいきなり「ケケケケッキョケッキョ」と鋭い声で鳴くことがあります。この鳴き方を「谷渡り」といいます。これは近づくなという警戒音ですから、すぐに離れてあげましょう。


 生物にはそれぞれ縄張りというものがあります。敵が近づいてきたら、警告を発して追いはらいます。それでも近づいてくると、勝てる相手とは闘い、負ける相手からは逃げます。人間にも同じように、人と人とのあいだには適切な距離というものがあります。おたがいの身体が触れあうことのできる距離は50cm以内、これを「親密距離」といいます。赤ちゃん、夫婦、恋人といった間柄の距離です。これ以外の人がこの距離に接近するのはよくありません。50cmから1mは「個体距離」といわれていて、友人同士の会話はこれくらいの距離が適切になります。あらたまった席とか仕事の報告をするのに適当な距離は1m~4m、いきなり殴られたりはしない距離になります。講演会などといった場所では個人的なコミュニケーションがなくなり、距離は4mくらいよりも大きくなります。


 欧米人はこの対人距離が大きくて、ラテン系やアラブ系は短いようです。ですからアメリカ人とアラブ人が立ち話をしていると面白いことがおこります。アラブ人は親密さを表わすため次第に近づいていきますが、アメリカ人は相手から離れようとしますので、いつしか部屋をぐるぐるまわっているというのです。アメリカ人は知らない人どうしだと対人距離は大きいのですが、親密になると、それを表現するのによく抱きついたりします。日本人には人前でなかなかまねができません。日本人の個体距離の感覚が異なっているからでしょう。


 1912年4月12日に就航したばかりの豪華客船タイタニック号が氷山に衝突して沈没する事故がありました。乗客乗員数2223人、死亡者1517人という惨事でした。さまざまな要因が重なって起きた事故ですが、救命ボートが1178名分しか積んでいなかったということが問題を大きくしたとされています。ところが生存者は706名しかおりません。どうしたことでしょう。衝突から沈没まで2時間半はかかっているわけですから、ボートの救命率が60%とはひどすぎませんか。ディカプリオの映画「タイタニック」に、沈没寸前なのにまだ空きのある救命ボートが次々と降ろされているシーンがあるそうです。これを見て、欧米人はこんな非常時にも対人距離を重視するのかと驚いたという人がおりました。地球深部探査船「ちきゅう」の乗員は150名、救命ボートは75人乗りが2隻あります。避難訓練も行われているようですけれども、欧米人もたくさん乗船していますから、いざというときに大丈夫なのかと気になります。


日本人は親密であれ他人であれ、対人距離が「親密距離」と「個体距離」の中間くらいで変わらないような気がします。日本語にスキンシップというのがあります。赤ちゃんを抱いているときに、ほっぺたをくっつけたりして可愛がります。ただしスキンシップは和製英語ですから欧米人には通じません、というか誤解されます。「ふれあい広場」というのもあります。見ず知らずの他人とつかず離れずの距離にあるときに、「ふれあう」という言葉が使われます。「触れ合わない」ほどの距離にいるときに使う言葉が「ふれあう」距離というのも、日本語の難しいところです。


 そんな日本人なのに、満員電車のなかで赤の他人とぎゅうぎゅうすし詰めになっていても、文句をいいません。心のなかで思ってはいるのでしょうが、混雑をなんとかしろと鉄道会社や国に改善を求めたりはしません。これも「ふれあわない」人と体が触れ合っていてもなんとも思わない日本人の対人距離感覚のなせるわざなのです。
ところで日本の鉄道があれだけのすし詰め電車を平気で運行しておられるのは男女のお客さんがいっしょだからという説があります。大きな男性と小さな女性がいっしょだから、車両に乗客をたくさん詰めこめるし、まあ、乗客も耐えていられるのではないでしょうか。耐えているだけならいいのですが、痴漢におよぶやつがいて困ったことになります。そんなわけで女性専用車両を設けるべきだという話は明治のころからあったようですが、戦後にもたびたび登場しては消えていきました。理由は定かではありませんが、男性と女性が別々の車両になったら、きっとすし詰め電車に国民の怒りが爆発してしまうのを当局が恐れていたからではないでしょうか。近年は女性専用車両が導入されるようになってきました。それというのも、鉄道の輸送力が向上してきたことと、バブル崩壊や少子化などにより利用者が減少してきて、混雑度が緩和されるようになってきたからです。女性専用車両を導入しても国民は怒りを爆発させる恐れがなくなったと判断したのでしょう。アンケートをとったら、女性専用車両に肯定的な意見が多かったから導入しました、などという屁理屈はちゃんちゃらおかしい。男女平等の観点からいえば、男性専用車両があってもいいのですが、乗るやつはいないか。しかしこれからの高齢化社会では、高齢者専用車両を設けるべきではないでしょうか。グリーン車ならぬシルバー車。料金を安くして、ゆったりとした車両ができたらいい。そうすれば、国民のみなさんも、対人距離をみなおすきっかけになるかもしれません。


 さて、講演会や講義などで、学生たちが前の方の座席に座りたがらないということが指摘されます。これなども対人距離という考え方で説明されます。子供は知らない人に接近すると不安になるそうですが、それをコミュニケーションによって克服していくのだそうです。それが未分化なままですと、対人距離は大きいままです。こちらから近づこうとすると、避けたがるような気がします。日本人はメジロ型からウグイス型へと進化しているようです。