昭和女子大学に勤める知り合いの女性から、学長の書いた「女性の品格」(副題:装いから生き方まで、坂東眞理子、PHP新書)を読むように勧められました。私に品格があるから読んでごらんなさいという好意的な感じではなく、この本は男性にも役立ちます、あなたも読みなさい、という命令口調に近かったので、やむなく読みました。

 

内容をごく簡単に要約してみました:

 

 礼状をこまめに書き、約束はきちんと守り、型どおりの挨拶ができるようなマナーを身につけ、敬語を正しくつかい、ゆっくりはっきりと話し、乱暴な言葉はつかわず、

 装いは流行をおわず、デザインのしっかりした上質のものに身をつつみ、欠点をさらけださず、姿勢を正して胸をはり、贅肉をつけず、髪や肌を清潔にたもち、薄化粧ですごし、

 暮らしでは、お店の良い客となるよう心がけ、行きつけの店をもち、環境や女性や次世代育成に努力している企業の製品を愛用し、自分の能力向上と健康維持にお金をつかい、得意料理を身につけ、花や木の名を知り、古典を愛読して教養を身につけ、思い出の品だけを大事にしてあとは捨て、無料のものをせっせともらうことはせず、

仲間だけで群れず、怒りを顔に出さず、東に成功した人がいても妬まず擦り寄らず、西に不遇な人がいれば行って礼を尽くし、南に詮索好きの人がいれば決して近寄らず、北に自信をなくした若者がいれば行っておだててやり、

 良いことは人に隠れて努力をかさね、独りのときも人の目を気にして美しくすごし、目の前の仕事は他人にまかせて重要なことに時間をつかい、私生活にもゆとりをもち、頼まれた幹事役は気持ちよくこなし、できないと思えば丁寧に断り、縁の下の力持ちをいとわず人脈をつくり、約束の時間を守れるように余裕をもって計画をたて、ユーモアを解して愚痴をいわず、

 他の人を愛し助け、恋をしてもすぐに打ち明けたりはせず、うわべに惑わされず、品格のある男性をすてきだと思う目をもち、夫の地位や力を自分のものと誤解せず、自分の権利をふりまわさず、相手が嫌がることをせず、老いては自分の過去をひけらかさず、

自分の誇りを守り、誠実で謙虚さを忘れず、しかも凛として生きる、そういう品格のある女性に、あなたはなりなさい。

 

 いかがですか、すばらしい内容でしょう。この本がものすごく売れています。初版が06年10月、現在は47版をかさねて、200万部を超えているそうです。そのうち8割が女性です。とくに若い女性に人気があるようです。新書版がこれほど女性に売れるのは異例の事態とのこと。著者は、現代社会における女性の新しい美徳の基準、女性の社会進出による権力志向への戒め、地球レベルの問題のなかでの生き方について、ハウツー的なマナー術と、暮らしから生き方まで行動規範となるようなものをまとめた、と述べております。とはいっても、ファッション誌のコラム記事をまとめたような内容ですし、日めくりカレンダーにしてトイレに飾っておくのにちょうどいいようなものですから、まるで肩が凝りません。40代の女性ですと、説教されているようでいやだな、と感じるらしいのですが、20代ではマニュアルとして重宝されているようです。親から厳しいしつけを受けて育ってこなかったし、親は新しい時代のしつけが理解できていない時代ですから、やはり時機を得た本といえるのでしょう。

 日本では「国家の品格」(藤原正彦)がバカ売れしてから、TVドラマ「ハケンの品格」で火がつき、あっというまに「品格」がB級化しています。作家の塩野七生は、くだらない女性を大量生産しようとするくだらない処世書にすぎない、と酷評しているみたいですが、日本人が「品格」を身につけるにはしょうのないプロセスと諦めましょう。

 

 ところで「品格」とはなんでしょうか。「格」というのは、「人格」や「骨格」などのように内部にあって目に見えないもの、ですから表面的な「品の良さ」だけでは「品格」があるとはいえないものということらしい。女性に品格があったのか、などと驚いてはいけません。ないとは思っていても、そんな疑問をもつあなたは「品格」がないと、「歴史認識」ならぬ「女性認識」で攻撃されてしまいます。しかし著者に品格はあるのかと疑問に思うのはかまわないでしょう。あったらこんな本は書けないよね、と直感的には思います。著者は経験にもとづいて書いたようです。少なくとも品格のないことを行ってきた経験がたくさんあったから書けたのでしょう。

男性がこんな本を書いたら、人類の半分を敵にまわすことになることでしょうから、これはやはり世のなかの女性の「品格」のなさを憂いた著者がやむなく書いたものだと信じたい。ただ「女性の品格」の売れ行きがあまりにもよくて、「親の品格」も出版しましたから、なにかしら不安は感じます。昭和女子大学は渋谷区の三軒茶屋の近くにあり、そこのブックオフで、贈られた本の扉に坂東眞理子宛のサインが入った本を買った人がいて、サインの入った扉くらい切りとれよとブログに書いてありましたが、まあ、いらないものをゴミとして捨ててしまわずに、心ある人にまた読んでもらいたいというリサイクル精神は現代における新たな「女性の品格」の条件の一つなのですと臆面もなく主張することでしょう。

 

 この本はだれが読むべきものだったのでしょうか。著者の考えでは、女性が社会に進出して活躍しているけれども、男性と同じように「勝ち組」をめざして出世や権力や収入ばかりを目標としているのは残念でならない、そんなこととは違う新しい価値観を職場にもちこんでほしい、しかしかつての「良妻賢母」のようなスタンダードがなくなり迷っているようなので現代女性の理想像をまとめた、とのことです。ということは、職場で出世をめざして奮闘している女性たちへ「品格ある女性像」を提示することが目的だったようです。そういった意味では、出世をめざすことを諦めた女性たちは対象外ですし、家庭の主婦でもありませんし、もちろん男性でもありません。ただ、権力志向をもっている女性が近くにいたら、その品格度を測るために読んで楽しむのも悪くはありません。

 

 今後「品格のある女性」がどんどん増えていったら、世の男性はどうなってしまうのでしょう。このような問題に「品格のある女性」はどのように対処すべきなのか、本書には品格のある男性を育てなさいとありますけれども、男は逃げてしまうと思います。北欧のあるキャリアウーマンが、日本にいるとほっとする、女性が女性のようにふるまってもいいから、と言っておりました。女性らしくふるまう女性にいちばん魅力を感じる男性は結婚できなくなるのでしょうか?だいじょうぶです、「品格」がなくともすてきな女性はたくさんいますから。