わが国にジョークなど必要はない、なぜなら、わが国の存在自体がジョークなのだから、とかつてロシア共産党のブレジネフ書記長が言った、というジョークがあります。ロシアはなぜかジョークの宝庫です。ロシアやソ連の指導者をこけにしたり、ロシア人自身をあざ笑うものにはことかきません。なかでも最高傑作ではないかと私が思っているのは、ロシアの歴代指導者を乗せて走っていた列車がいきなり故障して止まってしまったという小話です。

 

 レーニンは、こんなはずではなかったと嘆いた。

怒ったスターリンは、運転士以下の乗務員全員を銃殺しろと命じた。

フルシチョフは、乗務員をすべて入れ替えよと命じた。

ブレジネフは、カーテンを閉めて列車が走っているふりをしろと命じた。

アンドロポフとチェルネンコは、故障ならしょうがないと言ってなにもしなかった。

ゴルバチョフは、エンジンを取り換えよと命じた。

エリツィンは、もういい、おれが後ろから押すと言った。

列車が動きだすとプーチンが、ロシアは偉大だ、とジョークを言った。

 

 この小話を最初に目にしたのは、1992年8月14日、「ゴルバチョフ時代の小話」とメモしてありました。すでに政権はゴルバチョフ(1985~1991)からエリツィン(1991~1999)に移っていましたが、オリジナルはスターリンからブレジネフまででした。その後の政権の変化に合わせてこの小話も進化してきたものです。ロシアの歴代指導者の特徴を的確に言い表しているばかりか、並べるだけでジョークになるほどいろんなタイプの指導者を生みだしたロシアという国は、ほんとうにジョークが好きなのだと感心させられます。

 

 エッセーや小説を書いていた米原万里さんが、2006年5月29日に病気で亡くなりました。若い頃はロシア語の通訳をしていて、その失敗や珍談・奇談をまじえて同時通訳の裏話をまとめた代表作「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」(新潮社、1994年)はおもしろくてためになる通訳論です。米原さんは、スターリン時代のような緊張感のある体制のなかで鋭いジョークがたくさん生まれました、だからって良いジョークのためにスターリン体制はごめんだけどね、と言っております。ソ連というじつに奇妙な国の実態をうまくおもしろく描くのが得意な作家でした。その米原さんが亡くなる直前に出版した「必笑小咄のテクニック」(集英社新書、2005年12月)から、小話を一つ(簡単にまとめてあります)。

 

モスクワの大通りで信号待ちしていると、四歳くらいの元気な男の子が若い母親を見上げて訊きました。

ねえ、ママ、信号が赤のときは道路を渡っちゃいけないの? 

すると母親は、絶対ダメ、死んじゃうから、とは言わず、

もちろん渡っていいのよ、と答えたのです。ただね、その場合は、両手を挙げて渡るのよ、

とつけ加えました。

なんで?運転手に見えやすくするの? 

ううん、死んじゃったら、病院でシャツを脱がせやすくするためよ。

ダメ!と禁止されれば、余計にやってみたくなるのが子ども、

具体的なイメージを誇張し、危険を生々しく感じさせるところがいいですね。

 

 ロシアと日本の交流はあまりよくはなさそうですが、ロシアの文化は日本人に理解しやすいのではないかと思います。ロシアではスターリンの人気がいまでも高いそうです。独裁者にまかせておけば、国民はなにも考えずにすんだのに、あの頃はよかった、というのです。国がおかしくなっても国民は無関心だし、トップが体制変革をめざしても国民は改革の必要性を理解できず、生活が悪くなったとしか思わない、とロシアをバカにする人がおりますけれども、「ロシア」を「日本」に変えても、すんなり受けとれるところがおかしい。

 

 最近のロシアは元気がいい。資源外交でかなり強気に出ています。ロシアの元情報機関員リトビネンコの暗殺事件をめぐり、英国とロシアがさながら冷戦時代を思わせるような事態になっています。ロンドン警視庁がロシア連邦保安局の職員ルボゴイの逮捕状を出して身柄引き渡しを要求すると、ロシア政府は、国民の「身柄を引渡しを禁じている」という憲法の規定をもちだして拒否、これで外交官の追放合戦に発展しています。しかもプーチン大統領は、「英国はわれわれの憲法を変えるように提案してきている、これはわれわれの国家と国民を侮辱するものだ、変える必要があるのは、われわれの憲法ではなく、英国人の脳みそだ」とやって国民の喝采を浴びています。ジョークに関してはイギリスもロシアに負けてはいませんから、目が離せません。

 

 さて、有人潜水船のレポートを作成しているとき、ある人から、有人潜水船でなければできないことはなにか、と質問され悩んでおりました。深海科学のことはさておき、ロシアがやってくれました。ロシアの有人潜水艇MirⅠ、MirⅡが2007年8月2日、北極点の海底に国旗を立てたというのです。これは有人潜水船でなければできない、無人探査機にはできない仕事だ、と感心しました。2艇に計6人を乗せ、北極点近くの氷に開けた穴から潜航を開始、深さ4261mの海底にチタン製のロシア国旗を立てたというものです。ロシアの目的は、北極海の海底に眠っているとみられる、膨大な天然資源の所有権を主張し、政治・経済面でロシアの影響力を高めることにあるとされています。海底の石油・天然ガスの埋蔵量は100億トンと推定されており、地球の陸域全体の推定埋蔵量の約4分の1というものです。

 

 ロシア国内では、「ロシア科学の快挙」(プーチン大統領)と絶賛されておりますけれども、このロシアの行動に対して、北極海の領有や開発権を主張している各国はさまざまな反応をしております。カナダは、世界のどこかに行って旗を立てただけで「我々のもの」というのは15世紀の話だと批判しつつ、軍事施設を新設して牽制しようとしています。アメリカは海底に旗を立てたところで「法的な権利もないし、効力もない」とし、北極点海底の領有権とは別問題としておりますが、北西航路(大西洋から北極海に沿いカナダの群島地帯を通過して太平洋にぬける航路、カナダは国内航路と主張)を国際航路とみなし、自由通航権を主張してカナダと対立しています。

 

シベリアから延びているロモノソフ海嶺は北極点のそばを通り、カナダのエルズミーア島、デンマークのグリーンランド近くに至っています。ロシアは北極点をロシアの大陸棚の延長であると主張しているわけです。カナダとデンマークもロモノソフ海嶺は両国の大陸の延長上にあると主張しており、共同探査に乗り出そうとしています。

 

 北極海の海底資源の開発にしろ、北極海を通過する北西航路にしろ、いますぐにできる話ではありません。この背景には地球温暖化により北極海の氷が消滅するというシナリオがあるのです。IPCC(気候変動に関する政府館パネル)は2007年2月、今世紀末までに気温が最大6.4度上昇するという予測を発表、NASAも2004年~05年に北極海の多年氷が14%減少したとデータを公表したしました。2040年夏には北極の氷がほぼ消滅すると試算されているようです。

 

 日本は京都議定書を掲げ地球温暖化防止を世界に呼びかけておりますが、京都議定書からアメリカは離脱するし、日本自身は数値目標を達成できそうになく苦戦しているようです。ロシアは温暖化すれば暖房費がたすかるからと言って批准を先延ばしにしておりました。2004年にロシアが批准して京都議定書は2005年2月に発効しました。ロシアはどうして批准したのか、日本にCO2削減枠を売れるめどがたったから、というのはジョークなのかどうか難しいところです。

 

 ここらで地球温暖化防止の具体的な目標を、危機に瀕している北極海の氷を護れ、と世界に発信すべきではないでしょうか。これをアピールするため日本は世界の国々に呼びかけ、ロシアの国旗と合わせて北極点をぐるりととりかこむよう、海底に世界の国旗を立てたらいかがでしょう。