映画「Wの悲劇」(1984年)は、夏樹静子原作の同名推理小説(1982年)の映画化作品です。この小説は、アメリカの推理作家エラリー・クイーンの、名探偵レーンが殺人事件を解決していく悲劇4部作「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」「レーン最後の事件」(1932~1933年)へのオマージュ作品です。Xは、被害者が中指を人さし指の上にクロスさせて犯人を示すメッセージです。Yは、自殺したヨーク・ハッターの恨みを代行する殺人事件で、名前の頭文字です。Zは、無実の殺人犯を救う秘密に関連しています。最後にLは、名探偵レーンの頭文字です。さてそれでは、「Wの悲劇」のWはなにを意味するのだろうか、と考えながらこの映画を観ると楽しめるかもしれません。推理小説の題名の謎を推理するというのも一興かと思います。

 

  この映画は名作とされ、数々の賞をとっております。実は、名作となる理由があります。まず映画化に当たって、謎解きの説明が映画に向かないという理由で、ほとんどの映画監督から断られております。そんな推理小説は、ヘボ監督でも映画にできますが、ヘボ映画にしかならないのです。小説「Wの悲劇」の舞台は山中湖畔にある別荘。正月に富豪一族が集まり、大会社の会長である当主が刺殺され、令嬢が殺したと告白する。犯人は別にいるのですが、どうも真犯人をかばうために罪をかぶっているらしい。その理由が時代がかっていて、現代の観客には受け入れられそうもない、ということでした。舞台劇にはてごろかもしれませんが、小説のまま映画にしても、おもしろくもなんともない。これを映画化しようと思う監督はよほどのヘボ監督か、よほどの名監督しかできません。幸いなことに、「野菊の墓」(1981年)で監督デビューしたばかりの澤井信一郎が監督を引き受け、主演を薬師丸ひろ子にしました。薬師丸ひろ子は「セーラー服と機関銃」(1981年)で主役を演じ、大人気アイドルとなっていましたが、「Wの悲劇」で大人の女優にすることが監督の目標でした。

 

  しかし薬師丸ひろ子は小説の令嬢役なので、たいして出番もなくて、監督は小説の部分を映画のなかの舞台劇にして、若い舞台俳優が劇団のスキャンダルに巻きこまれながら、女優として成長していくというストーリーにしてしまった。そして舞台の方の主役は令嬢の母親というにして、その役を三田佳子が演ずることになった。映画における三田佳子の役はかなりの汚れ役であり、だれもやりたがらなかった。やむなく監督は汚れ役であることを隠して三田佳子を口説いた。映画における薬師丸ひろ子の役名は「三田静香」であり、三田佳子は後になって、もし脚本段階で自分が出ることになっていたならば、主役の役名は「三田」ではないはず、こんな役はだれも引き受けなかったのだな、と気づいたそうです。それで映画のなかで濡れ場を演じる相手の男優には、自分が抱かれたいと思うような役者にしてもらったそうです。

 

 今度の映画は、映画のなかに舞台劇があり、ちょっと複雑ですが、これくらいを頭に入れてご覧になればなんとかなるでしょう。それから薬師丸ひろ子はこの映画で燃え尽きてしまい、女優をやめようかなと思ったそうです。映画のなかでも、女優をこのままつづけるのか、女優をやめて幸せな結婚をするのかと悩んでおります。実物の薬師丸ひろ子がいて、映画のなかに女優がいて、その女優が舞台劇も演じるという階層構造になっております。女優をつづけると決意したときの台詞が「女優!女優!女優!」でした。映画のなかの舞台劇が「Wの悲劇」であり、題名は映画のストーリーとは関係ありませんが、映画と現実とが二重(ダブル=W)になっているところもおもしろい作品です。