映画

「駅馬車」にどうして決闘シーンがなかったのかという質問がYさんからあり、Hさんが一対三の決闘では一発撃ってから身を前に伏せて、相手からの攻撃をかわすという戦法だという説明をしており、なるほどと思いました。実は、映画を初めて観たときの私の感想は、ジョン・ウェインが大根役者なので、射撃シーンをうまくやれなくて、前に倒れるところまでにしたのかなと思っておりました。Hさんの説明で、リンゴ・キッドなる人物が過去にいて、この一対三の決闘に勝ったことが重要なプロットだったということで納得しておりました。

 

 Hさんが、さらに検討を加えて、あのシーンは決闘なんかではなくて、ヤクザの出入りみたいなものだから、決闘には値せず、省かれたのではないかという結論にしておりました。それで私からも映画制作の観点から一言述べさせていただきます。

 

 駅馬車には原作小説がありますから、そのなかで決闘シーンが描かれていると思います。リンゴが前に伏せてから銃撃戦があって、三人を次々に倒していったのでしょう。しかしこのままでは映画にならないのです。映画にはドラマチックな展開が必須です。それでシナリオでは、銃撃戦はリンゴが前に倒れるまで、それからプラマー三兄弟のルークがバーに現れます。すると、バーの客たちは、それから映画を観ている客たちも、やっぱりリンゴは負けたのか、とがっかりします。ところがルークが歩いているときに、ばったり倒れて、観ている者全員が、アッとなり、リンゴが勝ったらしいと安堵するわけです。そのときルークの顔が大写しになります。

 

 ルークの役者は、バーに入ってきてからばったり倒れて顔が大写しになるまでずっと、観客の注目を集めることになります。このシーンこそは役者冥利に尽きる場面ではないでしょうか。そういう目で観てみると、「駅馬車」には脇役がみんながんばっています。駅馬車に乗った9人のなかで、死んだのはルーシーの護衛をしていた賭博師だけです。賭博師は弾を撃ち尽くし、もうこれまでと観念して、ルーシーが辱めを受けないように、一発だけ残しておいた弾でルーシーを殺そうとします。その瞬間、賭博師はアパッチの流れ弾に当たって倒れてしまった。そのときに騎兵隊のラッパの鳴る音がルーシーに聴こえて安堵の表情をする。賭博師は亡くなる時、ルーシーに、父のグリーンフィールド判事に会ったら…息子は…、と言って息絶えます。ここは賭博師が観客をずっと引きつけている場面です。また銀行家のゲートウェイだって、銀行の金を持ち逃げしているのに、市民の権利を主張して政治家を非難する演説をぶっております。このあたりは、オーソン・ウェルズの第一作「市民ケーン」そのままです。市民ケーンを演じたオーソン・ウェルズも大柄で、恰幅のいい銀行家とそっくりです。酔っぱらい医者も名演技でした。助演男優賞を得ており、納得です。「駅馬車」は脇役全員が役者冥利に尽きるようないい演技をして本作をもり立てており、これが名画たる所以ではないでしょうか。