映画「駅馬車」(1939年)は名画だとだれもが絶賛しているけれども、どこが名画なのかを考えてみました。この映画には登場人物が多くて、その関係がよくわかって観ていないと名画どころではなくて、よくわからなかったというのが本音でしょう。人間関係がわかっていると、なかなか味のある映画です。そもそも名画とは何度観てもおもしろいということです。

 

 「駅馬車」のころの西部劇は、単純におもしろいだけで、一回観たらもういいや、というのが多かったらしくて、「駅馬車」の企画段階では、また西部劇か、という程度の評価でしたから、大手の映画会社からは相手にされず、独立プロで製作されました。ですから製作費が圧倒的に足りない。娼婦ダラス役には、マネーネ・ディートリッヒを宛てたかったのだが、予算が足りなくて、ちょっと格下のクレア・トレヴァーにした。とはいえクレアだってそれなりに高かった。ともかく西部劇では女優が第一ですから、これはやむをえなかった。それで、主役のリンゴ・キッドは、当時のB級西部劇の大根役者とされていたジョン・ウェインにせざるをえなかった。ジョン・ウェインのギャラはクレアの四分の一しかなかった。「駅馬車」の主演に抜擢されるまでは、かなりの下積みだったらしくて、演技は下手くそだし、駅馬車の俳優仲間からは嫌がられていた。それで、ジョン・フォード監督は、ジョン・ウェインに、演技はするな、言われたとおりのやっていろと言っていたらしい。ただジョン・ウェインは下積み時代が長いだけあって、俳優仲間にはいいやつがいた。その代表は名スタントマンのヤキマだった。アパッチの襲撃を受けて、逃走している駅馬車の御者が撃たれて馬を操れなくなったとき、リンゴが先頭の馬まで二頭を次々とび越えていくシーンがあります。あそこはヤキマの演技でした。以前に観た「蒲田行進曲」の階段落ちのシーンを思いだしました。

 

 「駅馬車」の製作費は約53万ドル、配給収入が195万ドルでしたから、当時としてはかなり評判が良かったといえます。ただ、同年に製作された「風と共に去りぬ」は総天然色で、製作費が約4百万ドル、配給収入は3億8900万ドルであり、製作費で8倍弱、配給収入に至っては、200倍でしたから、国民的人気は圧倒的に「風と共に去りぬ」でした。「駅馬車」はどちらかというと、映画好きの監督や批評家が評価する名画ということのようです。

 

 駅馬車には9人が乗りこむことになりました。一見ばらばらなように見えますが、なんとなくつながりがありそうなところがミソです。駅馬車は当時の定期便です。アリゾナ州の中部にあるトントという町から、南東にいって、ニューメキシコ州に入ってすぐのローズバーグという町に向かいます。アメリカは連邦国家ですから、州が違えば法律も違うし、いまいる州にいられないことになると別の州に追いはらわれる、あるいは逃げるということになります。トントから町を浄化したい婦人連によって追い出された者が、娼婦のダラスと飲んだくれのブーン医師、追い出した女性の夫の銀行家ゲートウッドは集めた金を持って隣の州に一刻も早く逃げていきたい。駅馬車に乗りこもうとしている婦人ルーシーはまもなく子どもが生まれるので、騎兵である夫の任地にいきたくて、この駅馬車に乗りたかった。このルーシーの父が南軍兵士崩れの賭博師ハットフィールドの元上司だとわかると、賭博師はルーシーの護衛を買って出て、駅馬車に乗りこむことに。そして、主役のリンゴは父と弟を殺したルークがローズバーグにいるとわかって仇を討つため、そこに向かったらしい。そのことを知った保安官カーリーも駅馬車に乗りこむ。保安官はリンゴを捕まえるという名目だが、実は、リンゴの父の親友であり、リンゴの親代わりでもあった。プラマー三兄弟と対決すれば負けることがわかっているので、殺されないようにするには監獄がいちばん安全だと思っている。リンゴは馬がケガをして、駅馬車に乗りこむことに。後は、アメリカ中西部のカンザスに帰る途中のウィスキー商人ピーコックと御者のバックである。

 

 駅馬車のどこが名画かというと、それまでのアメリカ西部劇は単純なアクションものだったが、この映画では駅馬車に乗り合わせた者たちの人間ドラマが語られているというところにあるようだ。娼婦ダラスはまともな人間からは嫌われているのに、ルーシーが出産するとき、甲斐甲斐しく介抱して、そして生まれた赤ちゃんを抱いているシーンがあり、女性がいちばん美しく見える瞬間でした。それを見たリンゴがダラスと暮らすことを決意したところなどは、駅馬車のいちばんグッと来るところだったのではないでしょうか。

 

 決闘のシーンは息詰まるものでした。Hさんのコメントによると、実話に基づくものだったようですね。実は将棋に「駅馬車」という定石があります。相手の一つの駒に三つの駒を繰り出すものです。映画では、リンゴが三兄弟をやっつけますが、将棋では三つの駒の方が勝っております。あと、小津安二郎監督の映画「東京物語」(1953年)には、少年が口笛を吹くシーンがあって、それが「駅馬車」のテーマ音楽でした。

 

 あと、撮影はアメリカ西部の荒涼とした「沙漠」です。アリゾナ州のいちばん北側にあるモニュメント・バレーが遠景でした。実は沙漠にもいろいろあって、アフリカの砂だけの「砂漠」と違って、アメリカの沙漠には草が生えています。映画ではほとんど枯れているシーンがおなじみですが、3月ころには、草が沙漠に一斉に花を咲かせます。コロナが治まったら、春のアメリカ西部に旅行したいと願っております。