映画「シェルブールの雨傘」(1964年)は、若い男女の恋と別れという永遠のテーマが主題でした。別れ方はいろいろありますが、今回の作品では、恋人だった二人がそれぞれ三角関係(ダブル三角関係)となり、ちょっと切ないけれども、思い出を断ち切って、現在の幸せな生活にもどっていくというハッピーエンドでした。

 

 今回の映画を観ていてまず思い出したのは尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(1897年ごろ)でした。いいなづけにまでなった若い男女の貫一とお宮の哀しい物語。「貫一」は裸一貫のもじりの貧乏学生。しかしお宮はあるパーティで指に大きなダイヤの指輪をはめた大富豪の富山唯継(親から富をただもらっただけの男、のもじり)に出会います。その男の求婚に、貫一への未練はあるけれども、金持ちと結婚することにしたお宮。貫一の怒ること。熱海に二人で出かけていって、貫一はお宮に金持ちの男との結婚を思いとどまるように説得しますが、お宮は恋と金との板挟み状態。やむなく金持ちと結婚することになったけれども、心ではあなたを慕っております、と許しを請うお宮。堪忍袋の緒が切れた間貫一は、「ダイヤモンドに目が眩んだか」と言ってお宮を下駄で足蹴にして、きっと自分は高利貸し(金色夜叉)になり、大金持ちとなって、恨みをはらしてやる、と誓います。

 

 「金色夜叉」に実はモデルが二つあります。一つは種本で、「女より弱き者 weaker than a woman」(1878年、パーサ・M・クレー著 堀 啓子訳)です。題名はシェークスピア作「ハムレット」の台詞” 弱き者よ、汝の名は女なり”のもじりです。アメリカの小説ですが、舞台はイギリス。この種本にもダイヤの指輪が出てまいります。こちらは愛と金、どちらをとるかと問われて、もちろんお金よ、と自分できっぱり選択できる女性の物語。それを尾崎紅葉が翻案して、「宮さん、今月今夜のこの月を、来年の今月今夜のこの月を、再来年の今月今夜のこの月を、10年後の今月今夜のこの月を、僕の悔し涙で曇らせて見せるぞ」と貫一が講談仕立ての名台詞で締めくくり、日本の多くの女性の涙を誘いました。

 

 もう一つモデルは、実在の人物。お宮さんのモデルは、明治の鹿鳴館時代に、その鹿鳴館と並び称された名士交流の場、芝の紅葉館の美人女給「中村須磨子」、富山唯継のモデルは博文館の創始者の息子「大橋新太郎」、そして間貫一のモデルは、尾崎紅葉の友人の学生「巌谷小波」です。大橋新太郎は後年、金沢文庫に別荘をもっており、「県立金沢文庫」の創設に資金を提供しておりますし、後妻となった須磨子は金沢文庫の別荘に住んで、地元のために様々な貢献をしております。お孫さんによりますと、女優のマレーネ・ディートリッヒのように美しかったとか。江戸時代に金沢八景を埋め立てた泥亀さんのことをだれでも知っておりますが、その子孫は資産をくいつぶし、大橋新太郎が買い取っております。西柴のあたりはすべて須磨子さんの所有地でした。「わ」の映画の会のみなさんも、ひょっとしたらその跡地に住んでおられるかもしれません。

 

 それから「金色夜叉」でもう一つおもしろい話題は、男がダイヤの指輪をはめていることです。日本の女性は、古来、装身具を身につけておりませんでした。せいぜい髪に簪をさすぐらいでした。これだって本来は護身のためのもの。「金色夜叉」のころから、女性もだんだんと指輪やネックレスをつけるようになっていったのです。