映画「蒲田行進曲」(1982年)を久しぶりで観て、私もやっぱり、こんな映画だったのかと思いました。私の場合は、最後の「階段落ち」のシーンがあまりにも強烈だったので、ほかのストーリーなんかふっとんでしまっていたのです。すべて見せ場の階段落ちを最高に盛り上げていくための仕掛けだったのだなと思いました。

 

 今回改めて観て、おやっと思ったのは、この階段落ちの後にくるどんでん返しです。みんな芝居だったのか、と映画を観ていて思うのもおかしいですけど、階段落ちでハラハラドキドキしていたのが、なんか張り詰めた風船の空気が抜けたみたいになりました。映画作りの芝居だから、これで映画作りは終わりましたよ、ということを示すための大団円だったのでしょう。また一応、松竹の「蒲田行進曲」なのですから、蒲田行進曲の合唱で幕を閉める、という舞台劇の趣向だったのでしょう。

 

 ただ、この本当のエンドを観ていて、ふと思ったのは、それなりにリアルを描いた作品であるならば、階段落ちするヤス(平田満)本人が落ちたのだろうとずっと思っていたのですが、ひょっとしてこのシーンもスタントマンがやったのではないか、と疑問に思いましたので、後で調べてみました。

 

 まず、ヤスの役にはモデルがおります。「汐路章」という役者です。この役者は東映の時代劇から現代劇、ヤクザ映画などで悪役として活躍、権力者にこびへつらい弱い者をいじめるチンピラヤクザや間の抜けた同心などの役を得意としておりました。そして「新選組」(1958年)では、池田屋の二階からの階段落ちを本人がやりました。スタントマンなしで。8mほどの大階段を、転げ落ちたそうです。汐路章も当時は妻名義の保険をかけたそうです。なお、汐路章は「蒲田行進曲」にも出演しております。主役の「銀ちゃん」の付け人の一人として平田満といっしょに走りまわっておりました。

 

「蒲田行進曲」のなかの階段は高さが8m、段数は35です。平田満はスタントマンなしでやるつもりだったらしいのですが、ほかの芝居のスケジュールもあるし、ケガをさせるわけにもいかないということで、監督はスタントマンを使うことにして、平田満が落っこちるのは6段だけ、残りはスタントマンの猿渡幸太郎という役者がやりました。ただし、ウェットスーツを着て、安全対策はとっていたとのことです。この猿渡さんの奥さんも、当時は妊娠しており、映画と同じだったそうです。

 

 映画のなかで、階段の高さは10m、39段と説明しておりました。実際に階段の写真を見てみると、段数は35しかありませんから、観客を怖がらせようと、ちょっと大げさに言ったようです。この大階段の段数が39なのは13の三倍ですというセリフにも笑えました。13の階段というのは、死刑囚が首を吊られるときに登る階段ですから、不吉の代名詞となっております。

 

 ギャグがふんだんに用意されたおもしろい映画でした。大部屋役者でも「階段落ち」だけは主役になれる、という現実がそのまま映画になっておりました。当時の日本は、景気が良く、バブルに向かって右肩上がりの状態でしたが、その後、バブルが弾けて、ほんとうに「階段落ち」した日本でした。