今年の夏は熱い。夏はいつだって暑いのですが、今年は、例年になく陽射しが強い気がしますし、オリンピックで日本選手の若者たちが熱戦をくりひろげて頑張っています。そして映画好きにもまた熱いものがあります。

 

8月6日から、松竹百周年記念として、「キネマの神様」が全国公開されます。松竹ができたのは1920年のことですから、百周年は昨年のはずだったのですが、コロナ禍で、しかも主演のはずだった志村けんがコロナにかかって急逝してしまい、一年延期になっていたものです。沢田研二が代役をやり、公開にこぎつけました。オリンピックも甲子園も「キネマの神様」もなんとか開催されることになりました。

 

昭和の初め、庶民の最大の娯楽だった映画の時代に活躍した若い活動屋たち、それを懐かしく想う現在の主人公の物語です。ギャンブルと借金とで家族から見放されつつも、映画だけが大好きで、それによって立ち直っていくというヒューマン・ドラマです。

 

過去と現在をつなぐ演出がすばらしい。主人公が昔の若いスター女優の演技のシーンを思いだす。女優がアップになる。驚いて目を開く。その目がアップになる。ずんずんアップになっていくと、その瞳にカメラが映り、その横で若かりし頃の主人公が助監督としてカチンコを叩く姿が映る。そして過去の時代に移っていく。映画は魔法だ、と思う瞬間です。

 

山田洋次監督は、その目のアップに耐えられるのは、あなたしかいない、と女優の北川景子を口説いたらしい。ということは、北川景子が演じた昭和の大女優というのは原節子でしかありえません。北川景子も小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)を観ながら、原節子の所作をまねて役作りをしたそうです。思えば、松竹大船撮影所50周年記念の映画「キネマの天地」(1986年)も山田洋次が監督でした。製作の野村芳太郎も、脚本の井上ひさしも、共演の渥美清もすでに亡くなり、山田洋次がひとりで頑張っているのです。

 

「キネマの天地」は私の大好きな映画です。実は、松竹50周年として、「蒲田行進曲」(1982年)という映画がありました。この作品は「わ」の映画の会で10月に上映されることになっておりますから、楽しみです。どちらも松竹蒲田撮影所が舞台となっております。松竹の社歌がともに使われております。ただ松竹にとって無念だったのは、時代劇映画の物語だったので、深作監督と京都撮影所が東映であったために、自分たちの手でもう一度、50周年記念作品を作りたかったのです。

 

みなさんはご存知でしたでしょうか。この「キネマの天地」を撮るために、松竹蒲田撮影所の巨大なオープンセットが、金沢区能見台に作られたのでした。大船撮影所のなかだろうと単純に思っていたのですが、「わ」の映画の会のメンバーK・Dさんから教えていただきました。なにしろK・Dさんが、能見台の現在の地に引っ越してきたのは、そのオープンセットがあったからというのですから、間違いはありません。ただそのことはどなたもご存知ない。そのセットが撤去されて、巨大なマンション群ができあがったのですが、そこの住民もご存知ない。かろうじて私の友人が昔から能見台に住んでおられて、尋ねてみたところ、セットがあったことは知っていたけれども、見たこともなかったということでした。

 

この暑さのなか、セット跡のマンションを見学してきました。痕跡らしきものはなにもありません。金沢の歴史を調べてみました。金沢の歴史というと、ずっと昔の話か、各地の古老の思い出話しかなく、新興住宅地である能見台のあたりはすっぽりと抜け落ちているのです。それでもと、片っ端から資料を漁っていきましたところ、資料の片隅に、ついに見つけました。オープンセットの場所、大きさなどがわかりました。いつかなにかの機会がありましたら、お話させていただければと願っております。