先日、担当者で会場の下見にいってまいりました。

一通り確認が済むと、大学の方が校内にある展示室に案内してくれました。

社会に出て活躍されている卒業生たちの色紙などが展示されてあり、

そこに「横浜聡子」のものを見つけました。

市大卒業の映画監督としてそれなりに有名ですが、実は、私の故郷、青森市の出身なのです。

私はまだ会ったことはありませんが、私の友人と知り合いなので、そのうちいつか、と思っています。

それで、横浜聡子監督に「津軽三味線」の映画をいつか撮ってもらいたいな、と思いながら

、ところで「津軽三味線」をテーマにした映画はあったかな、と調べてみました。

なんと、横浜聡子監督作品「いとみち」が現在、全国の映画館で上映されているのを見つけました。

 

 映画は、津軽三味線がつむぐドラマです。

「糸道(いとみち)」というのは、三味線を弾くと爪にできる溝のことです。

その「糸道」から名付けられた「いと」という16歳の女子高生が、

家族や仲間とふれあいふれあいながら成長していく物語です。

祖母が三味線上手で、母も三味線が得意で、「いと」も三味線のコンクールで優勝するほどの腕前だったのですが、

三味線なんていまどきダサい、とすっかりやる気をなくしていました。

ディープ津軽の真ん中、弘前市の近くの町に住んでいて、人と会話をするのが苦手で、

しかも津軽弁の訛りがひどくて、友だちづきあいもほとんどないという娘です。

あるとき、青森市のメイドカフェの女の子たちが着ている制服に憧れ、アルバイトをすることになります。

ところがそのカフェがトラブルに巻きこまれ、閉店の危機に立たされます。

店長以下、だれもが今後の身の振り方を悩んでいるとき、「いと」はみんなと別れたくないから、

店をつづけてほしい、私に三味線の演奏をさせてほしい、と提案して、

津軽三味線メイドカフェが再起することになりました。

 

 三味線はどなたもご存知と思いますが、

津軽三味線は独特の強く激しく、そしてもの哀しい演奏が特徴です。

きわめてローカルなものですが、私は小さいころから津軽三味線を聴きながら育ちました。

ですから年に一度は、津軽三味線を聴くために、青森に帰省しております。

ここのところ、コロナで帰ってくるなと言われており、なんとかコロナがおさまったら、

津軽三味線を聴きに帰りたいと願っておりました。

 

 なので、早速、「いとみち」の映画を観るため、横浜みなとみらいまで行ってきました。

いまどきの若い女の子が自立していくという小さな町おこしの物語にあまり期待はしておりませんでしたが、

津軽三味線の独奏ばかりでなく(演奏だけなら、いつでもどこでも聴けます)、

破れた三味線の修理のシーンとか、三味線名人の祖母との合奏、親友と踊りながら津軽三味線の弾き流しなど、

一般にはあまりなじみのないことなどがふんだんに織りこまれており、堪能してきました。

メイドカフェは青森市街にありますから、私には懐かしい町並みもたくさんありました。

なにしろ、主演の駒井蓮さんは津軽の出身なのに、津軽三味線に触れたことがなく、

この映画のために9ヶ月の猛特訓で臨んだということでした。

ふつうの映画なら、吹き替えですますところですから、映画の主人公のように、がんばり屋さんでした。

最後に、「津軽じょんから節」をお客さんやカフェのスタッフたち前で熱演できたときは、

嬉しくてほろりと涙がこぼれてしまいました。

 

思えば、

原節子の「青い山脈」(1949年)も都会から来た英語の教師が地方都市の民主化のために立ちあがるというものです。映画のロケ地は伊豆の下田ですが、小説は東北のある町、ということですから、

私は青森市が舞台だったと信じております。

「いとみち」の娘も、「若者、バカ者(引っ込み思案なのに、芯は“じょっぱり(意地っ張り)”という設定)、

よそ者(人とうまく会話ができず友達がいない)、そして女性」という、

改革するための四拍子がそろっておりますから、かなり似通った内容でした。

横浜聡子監督がどこまで意識していたかどうかわかりませんが、もしお会いできたら訊いてみたいところです。

 

会話が津軽弁ですから、まったく聴きとれないところがありますけれども、

たいした内容の会話ではないですから、

雰囲気だけ理解しておけば大丈夫です。