私の故郷の青森に市会議員をしている友人がいます。田舎はいつまでたっても田舎のままだ、これを変えるのは「若者、バカ者、よそ者」なんだけど、若者は都会に出ていってしまうし、バカ者は単なる馬鹿しかいないし、よそ者を受け入れようとしないし、困ったものだといつも嘆いています。ある人が、どの家も息子に嫁が来なくて困っている、と愚痴るので、あなたの家にも娘がいたじゃないですか、と訊いたら、東京に行ってしまった、と答えました。それじゃ、だめじゃん。世の中を変えるには、自由の女神もいるはずのですが、日本にはどういうわけか、現れません。

 

 昨年は、原節子(1920年6月17日生まれ)の生誕百年ということで、あちこちで往年の名画が上映され、私は.鎌倉市川喜多映画記念​館で「青い山脈」を観てきました。ツタヤには置いていなくて、初めて観て感激しました。この映画を一言でいえば、新しい日本を変えるのは、「若者、バカ者、よそ者、そして自由の女神」であり、原節子にはこの四つがそろっていた、ということでした。戦後すぐの地方都市に東京から若い英語教師(GHQの隠喩)として島崎雪子(原節子)が赴任してきて日本人に民主主義を教えようとします。女学生への偽ラブレター事件(変しい変しい新子様、で有名な)が発生して、それが学校内から町全体へと発展していき、大騒動になってしまいます。島崎先生は仲間たちと、若い人たちの自由な恋愛や結婚を受け入れようとしない地元の人たちと闘います。おもしろいことに、GHQの代弁者である島崎先生は、急進的に闘おうとするのですが、地元の仲間にゆっくりと変えていこうとなだめられ、日本に合う穏やかな民主化を進めていくことにして、ハッピーエンドとなります。映画のストーリーとしては、厳しかった雪も消え、古い上衣よ、サヨウナラ、という「青い山脈」の歌のように明るく爽やかなものですが、この映画には日本の戦後民主主義をどのように進めるべきなのか、というメッセージがこめられておりました。また映画の脚本は「忠臣蔵」をベースにしており、小説からおもしろいところを抜き出して並べ替えたものでした。当時の日本では、歌舞伎の「忠臣蔵」は上演禁止でした。主君のために集団で仇を討つなどは、封建主義そのものではないかとGHQに禁止されていたのです。しかし、観客には「忠臣蔵」のストーリー展開はおなじみのものでしたから、国民に受け入れられたのでしょう。そこまではGHQも気づかなかったようです。GHQの占領政策はこのころを境に変わっていきます。自由恋愛と男女の合意に基づく結婚が推奨され、見合い結婚を映画に描くことは禁じられておりました。小津安二郎の映画「晩春」(1949年)は「青い山脈」につづく原節子主演の作品ですが、こちらでは原節子がお見合いで結婚することになっています。お見合いシーンはまだありませんが、時代は少しずつ変わっていたのです。

 

 「青い山脈」は70年も前の映画ですから、観ていて理解できないシーンがちょこちょこ出てきます。原節子が女学校のまだ若い独身の校医と並んで歩いています。原節子は白いブラウスにパンタロンという、当時としては目を見張るような洋装です。カメラが足元をクローズアップしました。原節子の足のなんと小さいことか。いろいろ資料を当たりましたら、当時のスリーサイズが週間朝日のインタビュー記事にありました。「背丈5尺3寸(160.5cm)、体重14貫(52.5kg)、足袋9文半(22.8cm)」と答えております。当時のスリーサイズは、バスト・ウェスト・ヒップのプロポーションなんかではなくて、嫁にいって家事や姑や小姑に耐えられる頑丈な体と心が大事だったのでしょう。最近の日本人女性の平均身長が158cmくらい、足の大きさが23.5cmですから、原節子はそれより身長が少し大きく、足が少し小さかった。ちなみに映画の映像から頭の長さを測ってみると、7.7頭身でした。平均的な日本人女性は7頭身ですから、原節子は西欧の八頭身美人に近かったのです。どうして原節子の足をクローズアップするのか、はじめはわかりませんでした。そのうちカメラはいっしょに歩いている校医の足元に移ります。なんと校医のはいている下駄が、右足は男物ですが、左足は女物の赤い鼻緒(白黒映画ですから、たぶん)の下駄だったのです。なんとも意味ありげなシーンなのですが、意味がわかりません。やむなく小説で調べました。そのシーンとおぼしきあたりにはなにも書いてありません。ずっと読んでいって、ようやく最後に書いてあるのを見つけました。男は独身でいると、身だしなみがだらしなくなる、ということを映像で表現していたのでした。当時の日本人にはおそらくわかっていたのでしょう。おかげで小説を最後まで読み切ることができました。

 

 もう一箇所、どうしても理解できないシーンがありました。主演の若い男女(池部良と杉葉子)が暴漢に襲われ、池部良が格闘して相手を退散させるのですが、その後、泣き崩れてしまい、杉葉子を先に帰れと言って追い返します。どうして泣くのか意味不明でした。これもいろいろ調べてみてわかったのですが、日本は憲法9条で戦争を否定しているのだから、相手が悪いやつであっても暴力をふるったことは恥ずべきことだった、ということでした。そうだったのか、と納得できました。憲法が制定されたばかりのころの映画ですからね。しかし時代は移り、吉永小百合主演の「青い山脈」(1963年)では、やはり暴漢に襲われるシーンがあり、こちらでは吉永小百合もいっしょになって暴漢を撃退しておりました。前の東京オリンピックの前年に、戦後はすでに終わっていたのでした。