原節子は、国民からは「永遠の処女」と信じられ、映画業界のなかでは、相当な「ビール好き」として知られておりました。処女がビール好きでもいっこうに構わないと思うのですが、慎ましくて上品な女性像と、タバコやビールが好きで、ときには賭け麻雀に興じるという実像はやっぱりちょっとしっくりこないような気がします。しかし当時は、国民は原節子が「永遠の処女」だと信じていたし、「ビール好き」は映画関係者が内輪で知っていただけだったのでしょう。

 

 原節子がどうして「永遠の処女」と呼ばれるようになったのでしょうか。実態はまったくわかりませんし、そうあってほしいという国民の勝手な願望もあったのでしょう。いろいろ調べておりますが、資料はほぼありませんので、推量するしかありません。

まず、原節子がいつから「永遠の処女」と呼ばれるようになったのか。黒澤明監督が、戦後すぐに撮った映画「わが青春に悔いなし」(1946年)の後のようです。戦前に、京都大学の教授の娘「幸枝」(原節子)が教授の教え子で反戦活動家だった男性と東京に出てきて同棲しています。かつて仲間だった教授のもうひとりの教え子は検事になっておりました。同棲していた相手はスパイ活動で検挙され、獄死してしまい、農家の両親は非国民として村人から迫害されています。原節子はその両親の元へいき、村人たちの嫌がらせにもくじけることなく、農作業を手伝い、身を粉にして働き、迫害と戦っていました。そんなとき、検事になっていた青年が原節子を訪ねてきて、許してほしいと謝ります。しかしその検事になった男を黙ってキッと見つめる原節子の目の鋭さに、男は黙って帰っていきます。観客も震えあがりました。戦後となり、原節子は農民の指導員として活躍してくという話です。長年、反米愛国を叫んでじっと耐えてきた国民が、敗戦で抑えつけるものがなくなったとはいえ、民主主義ってなに?と戸惑っているときに、新しい日本を民主化するというGHQの方針を宣伝する映画でした。原節子は、敗戦によって腑抜け同然になっていた国民に活を入れ、勇気づけた聖女として強烈な印象を与えました。まず「永遠の聖女」と受け止められていたことでしょう。

そして、「わ」の映画会でも上映されたことがあるヒチコックの「レベッカ」(1940年)でヒロインを演じたのがジョーン・フォンティーンです。この女優は、ハリウッド映画「風と共に去りぬ」でメラニーを演じたオリヴィア・デ・ハヴィランドの妹です。ジョーン・フォーンティーンはその後、映画「永遠の処女」(1943年)のヒロインを演じており、日本で公開されたのが、1947年でした。西洋人に負けない美しさをもつ原節子は日本の「永遠と処女」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

 

 原節子が酒に目覚めたのは23歳のころと本人が言っております。まだ戦時中のことですが、最初は正月のお屠蘇だったそうです。それからだんだんとビールが好きになっていったことでしょうね。ビールが国民に飲まれるようになるのは昭和30年代です。小津監督の「彼岸花」(1958年)や「秋刀魚の味」(1962年)でビールを楽しげに酌み交わすというシーンが有名です。

原節子は小津監督の作品にヒロインとして出演しています。「晩春」(1949年)、[麦秋」(1951年)、「東京物語」(1953年)などがあります。「麦秋」に原節子がビールをおいしそうに飲むシーンが登場します。まだビールが高嶺の花だった時代に、「永遠の処女」がビールをおいしそうに飲むシーンに国民はあっけにとられていたそうです。

原節子はまるっきり異なる二つのイメージを併せ持っといたところが最大の魅力だったのではないでしょうか。原節子の魅力について、今後も語っていきたいと思っています。