映画「ショーシャンクの空に」が日本人になぜ受けるのか、ということで、Hさんが言っておられましたが、長いあいだの艱難辛苦を乗り越えて目的を達成するという「忠臣蔵」みたいなドラマに、日本人はグッとくるのでしょうね。ということはアメリカ人には受けないということなのでしょう。

 

映画の題名「ショーシャンクの空に」の原題は「The Shawshank Redemption」であり、redemptionは救済といった意味です。自称冤罪の主人公が、希望を失わずに脱獄する、という意味のようです。日本語題名がどうして「空に」とされたのかは不明ですが、題名を見た観客が、この映画はアクションものやホラーものではなく、ヒューマン・ドラマだということを理解してもらうためだろうと思っています。

 

 アメリカの死刑制度について。

 アメリカは、民主主義国家のなかでは世界最大の死刑判決と執行の多い国です。また死刑未執行者が世界最多です。自称では最大の民主主義国家であるK朝鮮は実質、世界最大の独裁国家なので、勘定には入っておりません。

アメリカでは、1972年から76年まで、死刑制度が廃止されておりましたが、1977年に復活しており、2021年には28州で死刑制度が採用されています。イギリスなどでは死刑制度がありませんから、大量殺人を冒しても、死刑にはなりません。監獄で優雅に暮らす無期懲役犯もおり、それはそれで小説などの題材になっております。また、逮捕しても裁判で無期になるのがせいぜいですから、逮捕しないで「過って」殺してしまうとか、裁判で無罪判決を勝ち取らせて、恨みに思っている者に殺させるなどという小説もあったりします。

この映画は、1948年に発生した殺人事件となっておりますから、まだ死刑制度がありました。しかし、妻とゴルファーの二人を残虐に殺害したとして、無期懲役を二つくらっています。一生かかって減刑されたとしても、もう一件の無期がありますから、ほぼ救われません。

有期でも、80年かだと、少なくとも80年生きれば監獄の外に出られますから、ともかく生きていく希望はあるかと思いますが、この映画の主人公の場合は、脱獄するしか希望はない、という設定です。

 

 女優リタ・ヘイワードについて。

この映画の重要な要素は、女優リタ・ヘイワードのポスターです。

監獄から脱走用のトンネルを掘る入り口を隠すためにポスターを利用いました。

リタ・ヘイワードは1040年代のセックス・シンボルでした。

生涯で、5回結婚していますが、二番目が映画「市民ケーン」や「第三の男」のオーソン・ウェルズでした。

1950年代のセックス・シンボルのマリリン・モンローなどポスターを帰ることによって長い時間を表現しておりました。

 

 レッドについて。

 この映画の語り役は、監獄の顔役のレッドです。

アンディが黒人のレッドに、どうして名前がレッドなのかと訊いたとき、アイルランド人だから、と自嘲ぎみに答えます。

アイルランド人は、アメリカに移民してきたなかでは遅い方で、南部できつい肉体労働をしなければならなかったという歴史があり、「赤い首redneck」と呼ばれていました。おそらくレッドは、自分が黒人とアイルランド人の混血だということをほのめかしたのだろうと思います。ここらへんの差別用語は俗語ですから日本人にはなかなかわかりません。

 

 この映画は基本的に、聖書をベースにしています。

原題の「The Shawshank Redemption」のredemptionは、キリストが十字架で磔になり、全人類を許すという、「贖罪」という意味です。その意味では、「空に」という日本語訳は、「天にいる神へ」という意味になります。

 

 多くのアメリカ人にとって、聖書の言葉は常識になっており、この映画では、聖書からとられた言葉がたくさん出てきます。刑務所に連れて行かれた新入りの囚人に、所長が、「わたしは世の光である。わたしに従ってくる者は暗闇のなかを歩かず、命の光をもつであろう」(ヨハネ伝8章12節)と言って服従することを求め、所長室の壁には妻が作ってくれた「神の裁きが間もなく来る」という額が飾ってありました。

主人公のアンディが常日頃口にしている、「人の心には、だれにも奪えないなにかがある、”希望”さ」というのは聖書の「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ5章3~5節)にあります。

 

 それなのに、所長は囚人をただで使って金をためこみ、裏帳簿をアンディに作らせ、所長室の額の後ろの隠し金庫にそれを隠してあった。またアンディは、聖書をくり抜いて、ハンマーを隠しておいた。アンディの聖書を金庫からとりだして開いたページが旧約聖書の出エジプト記であり、「わたしはエジプトの重労働のもとからあなたたちを導きだし、奴隷の身分から救いだす。腕を伸ばし、大いなる審判によって、あなたたちを贖う(redemption)」と原題のredemptionが暗示されています。

聖書の言葉を口にして裏金を作ったり、聖書をくり抜いてハンマーを隠したりは、どうみても聖書や神を冒涜しているとしか思えないところです。イスラム圏でこんなことをやったら、死刑か暗殺されることになってしまうものです。

 聖書のことに詳しくない日本人には、ピンとこないかもしれませんが、これはアメリカ人にとってタブーでしょう。建前でしかないかもしれませんが、あからさまにしてはいけないものなのです。映画としてはいい作品であったから、アカデミー賞にはノミネートされましたが、さすがに賞はあげられなかった。他にいい作品があったから、などというのは屁理屈だったのでしょう。

この映画は多くのアメリカ人にとって近寄ってはいけない作品だった、というのが私の考えです。