映画「バベットの晩餐会」はデンマークが舞台でした。デンマークはバルト海の門番みたいな位置にありますね。私も何年か前にデンマークに観光旅行して、アムステルダムで人魚姫の像を見て、それからずっと北にあるクロンボー城を観光しました。その城はスウェーデンとのあいだの海峡を監視していたところで、シェークスピアの「ハムレット」の舞台となった城です。

 

 映画の出だしで、カレイがたくさん干してあるシーンがありました。みんな白い側を向けておりました。あれはカラスガレイというやつで、表側はかなり黒っぽいカレイです。ちょっと気味悪いですから、映画の撮影では裏側しか映らないようにスタッフも大変だったろうなと思いました。

 

 姉妹のところにバベットがパリからやってきて、持ってきた手紙に、この女性は料理ができます、と書いてありました。パリから来た女に料理ができるものか、と姉妹はバベットに質素な料理の仕方を教えます。干したカレイの調理法、固い黒パンを砕いてビールと合わせるスープの作り方を説明します。ここであれ?と思いました。干したカレイを水でもどす?どうみても、カレイの一夜干しなのに、水でもどす必要はあるのかな、と疑問に思い、映画会世話人の鈴木さんが貸してくれた原作をチェックしました。原作では舞台がノルウェーの最北の地のフィヨルドですから、鱈の干物だったのです。確かに鱈の干物だったらカチンカチンになっていますから、水でもどして調理しなければいけません。しかし映画製作の都合上、舞台をデンマークの最北端に変えたのですが、そこでは鱈はとれないので、デンマークではありふれたカレイにしたのでしょう。

 

 バベットは料理を作るのがうまいばかりでなく、食材を値切るのもうまくて、乏しい年金暮らしの姉妹には重宝な家政婦となったのでした。バベットはまるで大阪から蝦夷地のさらに最果てに逃げてきたような感じでした。

 

 原作者のイサク・ディーネセン(本名カレン・ブリクセン)が「バベットの晩餐会」を書いたのは1950年ころ、65歳くらいのときの作品です。バベットは、おそらく自分が小説を書きはじめて間もなくの50歳くらいのころの自分がモデルなのでしょう。この小説のテーマは、自分の人生は正しかったのか、若いころのあの選択は正しかったのか、ということでした。映画の登場人物が自分の若いころの選択は正しかったのかと自問しています。ロレンス将軍は、若いころ博打で借金をこしらえ、罰として田舎で謹慎させられ、そこでマチーヌに惚れますが、思いを伝えることなく別れることになり、それから改心して自分は将軍になった。マチーヌといっしょになったら貧しい暮らしのままだったに違いない、あのときマチーヌと別れたことは正しかったのだ、それを証明するために将軍は晩餐会に出席した。

 

 声楽家のパパンはマチーヌの妹フィリッパの美声を耳にして、歌唱指導をします。夢はパリのオペラ座でいつかモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の村娘ツェルリーナとの甘美なデュエットをフィリッパと歌うこと。そしてオペラの後で、カフェ・アングレで食事をすること。しかしドン・ジョバンニがツェルリーナに振られたように、パパンもフィリッパに振られてしまった。そのずっと後、バベットに助けを求められたパパンは、フィリッパのことを思いだして、世話をしてくれるように依頼します。パパンはその手紙に、かつての拍手喝采や名声など、いまとなってはなんでもない、あなたこそ人生において良い選択をされた、天国で私はあなたの声を聞くことになるでしょう、と書いてよこした。

 

 晩餐会で将軍は、かつて自分の祝宴会をやったことのあるパリのカフェ・アングレの料理と同じものであることに気づいた。将軍がスピーチで、われわれは選んだものを授けられている、同時に選ぼうとしなかったものも与えられている、慈悲と真実はともに会う、正義と幸福はおたがいにくちづけするのです、と話した。そして晩餐会から帰るとき将軍はマチーヌに、生きているかぎり私はいつもあなたのそばにおります、と言って別れました。晩餐会の出席者はだれもが幸せな気持ちになりました。

 

 カレン・ブリクセンは若いころにアフリカの農場経営で苦労し、ついに失敗して46歳のとき故郷のデンマークに帰り、50歳近くになって小説を書きはじめました。65歳ころに自分の人生を振り返り、自分の人生はこれで良かったのかという思いをこめて「バベットの晩餐会」を書いた、と私は感じました。人生ですべてを失ったけれども、バベットと同じように、芸術のために自分は懸命に生きてきた、幸せだったと言いたかったのだと思います。ですからお伽噺のような作品なのでした。

 

 最後に、富くじで1万フランが当たり、それをすべて、料理を作るために使いましたとバベットが言います。1万フランはどのくらいの価値なのかという疑問があるかもしれませんが、答えは「想像もつかないくらい」の額ということでしょう。富くじで当たるなどという設定も、ありえない話ですけれども、お伽噺ということで理解してあげましょう。お伽噺というのは細かいところがリアル、という特徴があります。