映画「北京ヴァイオリン」(2003年)と映画「陽のあたる場所」(1951年)をつづけて観ました。偶然かどうかわかりませんが、どちらも貧富の差が極端な国で、貧乏人は高望みをしてはいけない、と戒めている作品です。しかし似てはおりますが、まったく違うということに注意しないといけません。「陽のあたる場所」は、貧しい若者が大金持ちの令嬢に恋をして、恋人も生まれてくる子も殺してしまい、死刑の判決を受けるというものでした。しかし夢をもつことでこっぴどい罰を受けるということでいいのいか、という問題提起の映画でした。ところが「北京ヴァイオリン」では、こちらも田舎の貧乏人の捨て子が、母の形見のヴァイオリンでコンクールに優勝しようとするのですが、結局は、夢を諦めて父と田舎に帰るんだ、そうする方が感動的だよ、と諭して、国民の不満を発散させるプロパガンダ作品でした。きっちりと共産党独裁政権の礼賛映画なのでした。

 

 映画会では、当分、中国映画がなさそうなので、「中国人は嘘をつかない」ということをお話します。日本人の多くは、中国人は嘘つきだと思っているかもしれませんが、中国人は嘘をつきません。「ウソ」という言葉がないのです。え、ウソ、「嘘」という漢字があるじゃないか、と言うかもしれません。実は、「嘘」という漢字には、日本語の「うそ」という意味はありません。漢字の「嘘」は、息を弱々しく吐く、という意味です。ウソをつくときは、声をひそめるから、日本人はやむなく「うそ」に漢字の「嘘」を当てたのです。中国人に日本人が嘘つきと言ったら、自分の声は弱々しいと思われたのかなと勘違いされて、もっと大声で嘘をつかれるかもしれません。

 

 中国人は本当に嘘をつかないのか、と怒る人がいるかもしれません。嘘はつきませんが、騙しはします。騙すという意味のことは、いろんなあり、そのそれぞれにことこまかな漢字があります。ただそれらをまとめた一つの言葉がないというだけなのです。以前にも書いたことがありますが、例えば、「おばさん」、という中国語には、自分の父の兄弟姉妹、母の兄弟姉妹にそれぞれ別の漢字があります。ただまとめた一つの漢字はありません。日本語と英語でも似たことがあります。日本語では「兄」と「弟」という別の言葉がありますが、英語には「ブラザー」の一つだけで、兄か弟かはわかりません。話を聞いているうちに、兄か弟かはわかっていきますが、イギリス人は生まれが早いか遅いかは問題にしていません。日本でも最近では性別や生まれた順序で差をつけるのはおかしいと、「きょうだい」とするようになってきました。

 

 「北京ヴァイオリン」を観ていてびっくりしたのは、金持ちの住む高級マンションのドアが二重になっていて、外側には鉄製の柵がついていました。中国に観光でいっても観光地をめぐるだけで、ホテルなんかも日本と同じですから、あんなにセキュリティがしっかりしているのを目にする機会はありませんでした。中国人が日本に来て、あまりにも無防備なので、泥棒に入ってもいいのかな、と勘違いするのは当たり前かもしれません。

 

 それからリウがリリのドアの柵をガチャガチャやっていると、リリが帰ってきて、なにをやっているのと言いながらニセモノの拳銃を向けます。中国では銃は違法ですから、実物ではありませんが、闇で仕入れた違法な拳銃かもしれません。しかしアメリカで同じようなことをやったら、即座に射殺されたことでしょう。正当防衛が認められます。偽物か本物かを判断していて手遅れになってはいけないからです。

 

Hさんが、中国人の会話は喧嘩をしているみたいだ、とおっしゃっておりました。中国語は一語一語に抑揚があり、どうしても高低などが強調されますので、日本人からすると喧嘩をしているように聞こえてしまいます。あれが普通の会話です。ですから嘘もこそこそつかず、堂々としたものです。