映画「北京ヴァイオリン」(2003年)は、名作「砂の器」(1974年)を思わせる、父と子の熱い絆、息子の演奏家としての成功のために父が子に託す熱い想いを描いたものらしい。映画「砂の器」は原作者の松本清張に、自分の小説を超えている、と言わしめた作品でした。若狭あたりの海岸沿いをさすらう父子の姿を延々と映しながら、成長した息子のピアノ演奏「宿命」にそれが重なっていく、そんな映像がまた観られるのかと期待しております。

 

 今回はヴァイオリンですから、以前に上映された「オーケストラ!」(2009年)も思い浮かびます。主演のアンヌ・マリー・ジャケの弾くチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調の演奏も、シベリアに追放されて亡くなった母親の映像と重ねられ、涙なしに聴いてはいられませんでした。

 

今回の作品をご覧になるには、時代背景を予め理解しておくことが重要かもしれません。中国は、めざましい発展をとげてきました。2003年ごろというのは、古いものと新しいものがごちゃごちゃしていた時代であり、文化大革命の時代に破壊し尽くせなかった古いものを2008年の北京オリンピックに向けて、どんどん壊していく最中でした。

 

 私は2002年に、北京の観光旅行にでかけました。万里の長城に行き、長城の上をずっと歩きました。「胡同(フートン)」という中国の古い路地に案内され、この地区はオリンピックのために、間もなく壊されますと教えられました。胡同には、北京の伝統的な集合住宅、方形の庭の東西南北に一棟ずつがある四合院が面しておりました。宿泊したホテルは北京中心部から少し離れたところにあり、地下鉄ができていましたから、夜に家族で市内に出かけました。切符は全区間同一の5元だったと思いますが、切符売り場で買い求めます。切符売のお姉さんが、切符を十字手裏剣のようにシュッと投げてよこしたときには、危ないなとも、くノ一のような手さばきの良さに感心もしました。改札から入るときに、またお姉さんが立っていて、切符を回収しているのでした。最近ではすべて自動ですから、あの切符売や切符回収の人たちはどこへ行ったのでしょう。その後、中国では電車に乗るとき、手荷物検査されるようになりましたから、そちらの安全要員に回されたのかしら。あの国では、余剰労働者の仕事を作るために、危険が必要なのかもしれません。

 

 私はかつて部下に中国人の研究者がおりました。文化大革命の後遺症で、大学にはなかなか行けない世代でした。中国では、優秀な学生は内陸奥深くに行かされます。宇宙航空技術、原子力開発など、重要な科学技術開発は内陸で行われていたからです。私の部下だった人は、造船技術を選びました。造船は海から離れるわけにはいきませんから、沿海部にある海洋系の大学に進み、さらに日本の大学院に留学してきたのです。鄧小平の時代に、豊かになれる者から豊かになれ、ということで、沿海部がどんどん豊かになっていた時代でした。しかし日本での留学期間が終了しても、その中国人はなんとかして日本に在留していたくて、友人の教官から私のところに面倒をみてくれないかと依頼があり、客員研究員として受け入れることにしたのです。

 

 1989年、鄧小平が天安門で民主化を求める学生運動を武力弾圧して、共産党政権が安定すると、改革開放をどんどん進めました。私のところの中国人に、そろそろ中国に帰ってもいいんじゃないかと勧めましたら、鄧小平が亡くなって、その後、どうなっていくか確かめるまでは帰りたくないということでした。鄧小平は1997年に亡くなりましたので、その中国人も独立して事業を始めました。

 

 それなりに長いお付き合いでしたので、その中国人から中国の文化や、中国人の考え方などをいろいろ教えてもらいました。あるとき、知多半島の地先の海で海洋調査をしていたとき、地元の漁協で女性たちが仲良く仕事をしていました。それを見ていたその中国人が、感心して、ああいう風景は中国にはないというのです。どういうことかと訊きましたら、一生懸命仕事をしていた女性は給料を上げてくれという、自分はほかの人よりもたくさん仕事をしているのだから、と。しかし給料は上げられない、するとその女性は、それじゃ仕事をしないと、へそを曲げてしまう。みんながそんな調子だから、職場の雰囲気がどんどん悪くなってしまうんだよね、とその中国人は日本人女性たちがお互いに助け合いながら和気あいあいと仕事する姿を見て、羨ましそうにしていたことは今でも忘れられません。

 

 今の中国は、まだ景気がいいので不満はないのかもしれませんが、一旦歯車が狂うと元の木阿弥にもどる可能性はあります。そのためには国民の不満が政府に向かわないように、国民同士をいがみ合わせることになるでしょう。またそのためにも国民監視と独裁の強化が進んでいきます。

 

 中国は文化大革命の失敗から、共産党による国家の独裁は必要だが、党中央の独裁は阻止しなければならないと学びました。この映画のころは、そんな時代でした。党中央は意外にも「民主的」なのです。そのころは、9人の中央政治局常務委員がいて、チャイナ・ナインと呼ばれていました。党主席というのは、あくまでも常務委員会の代表でしかないのです。大統領ではなくて、日本の首相に近いのです。例えていうと、鎌倉幕府の御家人13人の合議制による集団指導体制みたいなものです。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、間もなく源頼朝が亡くなり、集団指導体制となり、激しいパワーゲームを繰り広げることになります。チャイナ・ナインというのは「北京殿の九人」なのでした。現在では、最高幹部は7人に減らされて、チャイナ・セブンと呼ばれています。しかしいま中国で進行しているのは、主席の生涯化、第二毛沢東の出現です。ということは、第二文化大革命もそろそろなのかな、というところまできております。

 

 北京観光のとき、夜遅くホテルに帰ろうと地下鉄駅から降りて歩いていたとき、お父さん世代の男性がリヤカーに自転車をつけて、タクシー代わりにしておりました。客はスーツ姿の酔っ払った若者でした。この時代のお父さんは、子どもの出世を夢見て、世の中の理不尽にひたすら耐えていたのでした。次回の作品「北京ヴァイオリン」はそれなりにノスタルジックな懐かしい映画のようです。