映画「陽のあたる場所」でジョージの母親が 息子に、「天国で幸せになれるように祈る」と言っておりましたが、本当にそう思っていたのではないでしょうか。母親として、息子が死刑になるのは悲しいことではあるけれども、どうにもならないわけだし、せめて地獄に落ちないで、天国に行って幸せになれるように祈ってあげるしかないのですから、本心からの願だったことでしょう。神に召されて天国に行きたいと熱心なクリスチャンならだれでもそう思っているでしょうし、ましてやジョージの母親は宗教家ですか ら、本心から信じていたのです。母親は自分が息子のために神に祈ってあげれば、息子の魂は救われると思っているのです。

 

 映画のなかで裁判シーンがありました。日本 は「法治国家」だと思っている人は多いと思います。近くには、独裁者が法律を自分に都合よく使う巨大な人治国家があり、お隣は情緒法なるものがあり、通常 の法律より上だという情緒国家です。アメリカなどには陪審制度というのがありますが、法律は量刑を厳密に決めるためのルールにしかすぎず、陪審員のやるこ とは、神の御心に照らして正義かどうかを判断して、有罪かどうかを決めるのです。日本も陪審制度をとりいれようとしておりますが、陪審員は裁判官の下請け でしかありません。仏の心によるのか、情緒によるのか、大和心によるのかよくわかっていない形式的なものにすぎません。だれも責任をとらないようにする調 和国家でしょうか。こんな国は世界でも珍しいのです。日本を世界遺産に登録して保護しないといけません。早くしないと、あんないい国がかつてあったらし い、と世界記憶遺産になってしまいます。

 

 ところで、ジョージの母親役は女優のアン・リヴィアでした。あのしっかりした母親役の顔にどこか見覚えがあると思ってチェックしてみました。実は、エリザベス・テイラー(リズ)の少女時代の映画をいろいろ観ていて、12歳のデビュー作「緑園の天使」(1944年) では、リズのお母さん役をやり、アカデミー賞の助演女優賞を受賞しておりました。「陽のあたる場所」ではリズの恋人ジョージの母親になっていたのです。ア ン・リヴィアは、優しくてしっかりした母親役を演じていたのですが、残念なことにアメリカの赤狩りで、この映画を最後に映画界から引退してしまいました。 チャップリンも「陽のあたる場所」を絶賛しておりましたが、アメリカから追放されてしまいました。アメリカの「正義」が支配して、ハリウッドは暗い時代 だったのです。貧乏人が陽のあたる場所に這い登ろうとするのはもってのほかだと罰した映画だったといえなくもありません。「陽のあたる場所」はアメリカの 「正義」の映画だったのです。

 

 ところで、「陽のあたる場所」の主演女優は だれだと思いますか。映画の始まりに、三人の俳優の名前が大写しになります。モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー、シェリー・ウィンタースの三 人です。主演男優はクリフトでしょうけれども、主演女優はリズだと思っていた方は多いと思います。世界の大女優といわれたエリザベス・テイラーですし、絶 世の美女で、まさに陽のあたる場所にお住まいの女性役なのです。しかしリズは、この映画ではまだ17歳、「若草物語」(1949年) で少女スター最後の役をやり、それで大人の女優の第一歩が「陽のあたる場所」でした。この役はともかく陽のあたる場所で輝くように美しい女性であること、 貧しいジョージが恋人を捨ててまで、すべてを捨ててまで這い上がろうと思わせるだけの女優、映画の観客が、陽の当たる場所を得るためなら何でもするという 理由を納得してくれる女性であればよかったのです。演技なんかは求められておりませんでした。たった一つ演技をしたとすれば、死刑台に向かうジョージと会 い、死ぬまであなたを愛しつづけます、と言ったところかな。映画を撮ったのが17歳、18歳で結婚して、映画が公開された19歳のときには、すでに離婚していたのです。実生活との落差が大きすぎます。リズは7人の男性と8回結婚と離婚を繰り返しました。「リズの七転八倒婚」と私は呼んでおります。

 

 エリザベス・テイラーは、そもそも演技をする必要のない女優でした。子どもの映画が楽しいのは、子どもが演技をしていないからです。へたな役者が演技をしていると、嘘っぽくなってしまうのです。リ ズは子役のころから役の説明を受け、そのキャラを思ったとおりにやっていれば、それで映画になってしまったそうです。演技は必要なかったのです。日本にも 演技をする必要のない大女優がいました。原節子も思ったとおりに動いていれば、それで映画になってしまったのです。観客は原節子の演技ではなく、原節子を うっとりと観ていたのです。黒沢監督は原節子を大根役者だとこきおろしておりました。黒沢監督は自分の思ったとおりに演じてくれない原節子に腹を立ててい たのです。しかし小津監督は、原節子をそのまま活かして映画を作ればいいのだと黒沢監督を批判しています。きっとアメリカの映画界はエリザベス・テイラー を大根役者だと思っていたのかもしれません。ですからリズは当時、アカデミー賞とはまったく関係がなかったのです。リズはそれから数年、お人形さんみたい な役ばかりやらされて腐っておりましたが、二十歳代後半から汚れ役に挑戦して、「バターフィールド8」(1960年)でようやくアカデミー賞主演女優賞をとりました。あまりにも華のある日陰の女という役は難しいということかもしれません。それから「クレオパトラ」(1963年)で主役を演じ大女優となり、「バージニア・ウルフなんかこわくない」(1966年)では実の夫と映画のなかで夫婦喧嘩を演じて、二度目のアカデミー主演女優賞を獲得しました。しかし演技なのか本音なのかわかりません。実生活を映画にできるなんてすごいことだとは思いますけどね。

 

 と いうことで、「陽のあたる場所」の主演女優はジョージの恋人アリス役のシェリー・ウィンタースでした。この作品はアカデミー賞の監督賞など6部門を受賞し ておりましたが、主演女優賞はノミネートにとどまりました。ハリウッド関係者は、ウィンタースの演技を評価したのだと思いますが、いかんせん華がなかった のでしょう。しかし光り輝くリズが相手では霞んでしまうのもしょうがありません。クリフトだって、アカデミー主演男優賞はノミネート止まりでした。

 

映画鑑賞の後、Aさんと話していたら、シェリー・ウィンタースは「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)で老夫人の役をやっていて、若いころは水泳の選手だった、17歳で優勝した、と言っているのに、「陽のあたる場所」では泳げない役をやっていたのがおかしかったと感想を述べておりました。確かに、本当に泳げない女優なら、ボートを転覆させて落っことすなどという危険な目に合わせるわけがありませんよね。