映画「陽のあたる場所」(1951年)は、貧乏人の息子が雲の上に住んでいる絶世の美女と恋に落ち、まるでシンデレラ物語の男子版みたいなメロドラマなのに、あのチャップリンが、“アメリカについて、これまでに作られた最高の映画”と絶賛したそうです。この映画が公開されたとき、批評家にも観客にも好評で、その年のパラマウント社最大のヒット作となった作品です。

 

 本作は1951年に公開されましたが、撮影開始は1949年です。編集に一年かかったそうです。陽のあたる場所に住む美女をエリザベス・テイラー(リズ)が演じました。リズが生まれたのは1932年ですから、まだ17歳でした。少女スターとして12歳のときに「緑園の天使」(1945公開)に主演して脚光を浴び、「若草物語」(1949年公開)で四姉妹の三女役をやり、少女スターを卒業して、「陽のあたる場所」で女優の第一歩を踏みだした作品となりました。子役スターというのは、その子供らしさのイメージがついてしまうと、なかなか大人のスターには脱皮できないのですが、リズは子役のときから、大人顔負けの魅力があったらしくて、脱皮する必要がなかったのです。リズはまつ毛が生まれつき二重(一種の逆さまつ毛)で、まるでマスカラをつけて生まれてきたのか、と思われていたそうです。その紫色の目に見つめられたら、たいていの大人はイチコロになってしまったことでしょう。

 

 本作には原作があり、セオドア・ドライサーの小説「アメリカの悲劇」(1925年)です。第一世界大戦のもっと前の1906年にニューヨーク州で起きた殺人事件とその裁判を題材にした作品です。戦後に大繁栄したアメリカ社会の、貧しくて、無知で、虚栄心に満ちた青年が破滅する悲劇をとりあげ、アメリカ文明を厳しく批判した作品でした。1929年の大恐慌により、資本主義の根幹が崩壊していくなかで、この小説は映画化されました。小説と同名の映画なのですが、バブルの真っ最中に資本主義を批判するのとは違い、恐慌真っ盛りですので、資本主義を批判したってしょうがないですから、メロドラマにしてしまった。原作者は怒ってしまい、上映禁止の訴訟を起こしたのですが、裁判では認められませんでした。

 

 そして第二次世界大戦が始まり、四年後にようやく終結して、再度映画化されたのが本作です。アメリカの夢と資本主義が復活していくときです。陽のあたる場所とあたらない場所の格差がどんどん広がっていく時代ですが、夢は風船のように膨らんでいきます。貧困のどん底にいた青年でも上流階級の美女と結婚できるかもしれないと夢見ることができた時代でした。シンデレラ物語みたいなラブロマンスですが、現実はそんなに甘くはなく、青年の夢は破れてしまいました。ラブロマンスですから悪人は登場しません。みんないい人ばかりです。青年はリズと出会う前に工場の女性とできていました。リズと結婚するためにはこの女性が邪魔になり、湖でボートから落として殺してしまおうとするのですが、そのひたむきな愛に怯んでしまい、もたもたしているうちにボートがひっくり返って、女性は溺れ死んでしまいます。殺しはしなかったものの、裁判では殺意があったということで死刑判決を受けてしまう。電気椅子に送られる前にリズが訪ねてきて、生涯あなたを愛しますと誓いますが、男は自分が死んだら忘れるようにと言い、楽しかった過去を思いだしながら死刑台に向かいます。絵に書いたようなメロドラマです。

 

 こんな大人のシンデレラ物語を、どうしてチャップリンは絶賛したのでしょう。「絶賛」したというのが単に称賛しただけということなのか、あるいは皮肉をこめたものだったのかはわかりません。チャップリンは、「独裁者」(1940年10月公開)でヒトラーを茶化して反戦平和を訴えました。しかし公開時にはすでにヨーロッパで戦争は始まっていました。アメリカはアメリカ・ファースト政策をとっており、ヒトラーの戦争なんかヨーロッパでやらせておけばいい、という他人事でしたから、単なるコメディ映画とされていました。そしてチャップリンが戦後にようやく作ったのが「殺人狂時代」(1947年)でした。一人を殺せば殺人犯だが、多くの者を殺せば英雄になる、と殺人を重ねる実直な男をコミカルに描いた作品ですが、実は資本主義や戦争における大量破壊兵器の使用を批判する作品であり、広島の原爆投下も批判したものであり、チャップリンはアメリカから共産主義者のレッテルを貼られて追放されてしまいます。チャップリンはアメリカ国民ではなく、あくまでも永住を許可されているだけなのですが、自由主義のアメリカから追放する理由がなかったので、「ライムライト」(1952年公開)のロンドン・プレミアムのために家族とクイーン・エリザベス号に乗船してロンドンに向かった瞬間に、アメリカ司法省はチャップリンの再入国許可をとり消してしまったのです。

 

 「陽のあたる場所」が公開された当時、チャップリンはアメリカという国に失望していたはずです。この映画はまさにアメリカそのものを描いた作品であり、チャップリンがアメリカとの縁を切る覚悟を決めたのかもしれません。チャップリンもアメリカではずいぶんいい夢を見せてもらったけれども、夢破れてアメリカを追われる自分の姿を死刑台に向かうこの青年に重ねて見たのだな、「アメリカと自分を描いた最高の映画」なのだと悟ったのだと私は思います。