映画「かくも長き不在」のホームレスの男性がテレーズ(アリダ・ヴァリ)の夫だったのかどうか。

 

 その前に、テレーズと夫の出身地はメーヌ州(映画ではメーヌ県と訳されていました)ということでした。硬めのブルーチーズがメーヌ産で、夫らしき男はそのチーズが好きだと言っていました。まずメーヌ州がどこか調べてみましたら、パリから西南西に200㎞くらい、州都はル・マンということでした。ル・マンといえば、「ル・マン24時間耐久レース」で有名なところです。何年か前に、モン・サン・ミッシェルを観光旅行したとき、ロアール川のほとりの古城を見学して、トゥールからル・マンを通過していったことを覚えております。

 

 さて、ホームレスの男が夫アルベールかどうか、架空の話ですから、真実がわかるはずもありません。しかしこの映画を作劇の観点から考えると、監督は夫であるということにして脚本を作っております。映画の初めの方では、ホームレスですし、記憶がないということですから、夫かどうか不明です。テレーズは夫らしいと直感するが、念のために夫の叔母と甥に確かめてもらったところ、冷静な目で見れば、アルベールではないと断言されてしまいます。ここで観客は、やっぱり他人なのか、テレーズの思いこみにすぎないのではないかと思います。ただ、叔母と甥がアルベールだと同意したら、映画はここで終わってしまいます。否定されても、テレーズは妻だけが知っている感覚を頼りに、確かめていくことになります。

 

 ところで、男が持っていた証明書の名前はロナルド・ランドでした。記憶喪失した男の自己申告ですから、本名ではないかもしれない。ですが、姓のランドは、本名のラングロアに似せてありました。監督は男がやっぱり夫であるかもしれないとほのめかしていたのです。

 

 テレーズは男にメーヌ産のブルーチーズを食べさせ、それが好きだということを確かめた。ダンスを踊るうちにやっぱり夫だとテレーズは確信していった。しかし記憶はもどらない。テレーズが、記憶は一瞬でもどってくることもある、と言っていた。この台詞は、観客に記憶が一瞬でもどることを予告していたのです。

 

 あなたは優しい人だ、と言って帰っていく男に、テレーズが後ろから夫の名前を呼ぶ、周りにいた人たちもその名を叫ぶ。その瞬間に男は両手を挙げて、降参のポーズをとり、拷問者から逃げるように駆け出した。監督は記憶がもどったことを観客に示した。しかしその記憶は恐怖でしかない。記憶がないほうが幸せだったのかもしれないのに、恐怖の記憶がもどってきた。監督としては、記憶がもどったアルベールをトラック事故で死なせてあげることが、この映画のハッピーエンドだということなのかもしれません。

 

 夫がトラックに轢かれた瞬間に気を失っていたテレーズは、目が覚めたとき恋人のピエールに、男は死んではいないが、どこかへ行ってしまったと告げられます。きっと寒くなったら、またもどってくる、とテレーズは自分に言い聞かせます。そしてテレーズの短いバカンスが終わったのです。