映画「OK牧場の決闘」(1956年)の舞台が、アメリカ中西部のドッジ・シティ(ワイアット・アープが保安官)とずっと西のツームストーン(ワイアット・アープの兄が保安官)の二ヶ所であり、登場人物たちの関係が複雑に絡み合っているために、ちょっとわかりにくかったです。ワイアット・アープと、博打打ちで大酒飲みで肺を患っているがナイフ投げと早打ちの名手であるドクとの男の友情があり、最終的に銃撃戦となって、悪党どもをやっつけるというストーリーでした。

 

 Aさんが本作は東映映画に似ている、ドクの生き様は平手造酒そっくりだと説明しておりましたが、西部劇との関連がわからなくて、みなさんが困惑しておりました。平手造酒の名前くらいはぼんやりと知っておりましたが、ドクとそっくりだと言われても、どこがどのように似ているのかピンとこなかったので、調べてみました。講談に出てくる架空の人物だろう、くらいに思っておりましたが、どうやら実在の人物だったらしくて、ちゃんと墓碑もあるらしいことがわかりました。

 

 講談や小説や映画や浪曲など、無数に脚色されておりますから、なにがなんだかよくわからないのですが、たしかにAさんのおっしゃるように、平手造酒はドクに似ているようです。名前からして大酒飲みだし、博打はやるし、北辰一刀流の使い手だし、やくざ者同士の乱闘で死んでしまったようです。

 

天保水滸伝は、幕末の利根川の河口、銚子の近くを舞台にした、やくざ者同士の勢力争い(実話)を描いたものです。やくざといっても、幕末のころは、江戸幕府の統治能力は衰えており、博打打ちが町を仕切っており、例えて言えば、暴力団がお上に代わって町を支配しているような状態でした。暴力団同士が抗争すれば、物騒なことになりますが、平時には安定しておりました。国による統治ができていないわけですから、暴力団にみかじめ料を払えば、安全は保証されていたのです。国が守ってくれないのですから、やむを得なかったのです。金を国にとられるか、暴力団に巻き上げるかの違いしかありません。そこはよくしたもので、暴力団にしても、民が疲弊してしまえば、自分たちも困ることになるわけですいから、きちんと民が働けるように国に代わってインフラも整備しないといけないし、ということで、講談などでは、いい親分だったと感謝されてもおります。

 

 江戸末期の天保のころ(1830年代後半)、江戸四大飢饉の一つといわれた天保の大飢饉に襲われ、雨が多くて大洪水が発生、冷害で作物ができず、人は食べるものがなく、各地で行き倒れや死者が出る状態でした。そんなころ利根川のあたりは、飯岡一家と笹川一家が対立しておりました。飯岡一家は十手をあずかる身分で、「OK牧場の決闘」でいうと保安官バッジをつけていたが、やくざ者が警察権をもてばやりたい放題になることは明らかです。一方の笹川一家は牛泥棒のやくざ者といった構図ですが、新興勢力で民に慕われていたようです。諏訪神社が笹川一家の支配地にあり、この神社では古くから奉納相撲が行われていました。大飢饉のとき、笹川親分は諏訪神社に相撲の祖の石碑を建てることにして、この碑の建立を名目に、全国から博徒の大親分を集めて、大博打会を開催して、その上がりで農民を救済したようです。大前田の英五郎、国定忠治、清水次郎長とか、浪曲の大物が集まったとされております。

 

 「天保水滸伝」の名場面「大利根河原の決闘」は、天保15(1844)年、博徒でありながら幕府の十手持ちでもあった飯岡親分が多くの子分どもをひきつれ、笹川一家に斬りこみました。「OK牧場の決闘」ではドクは保安官に加勢しますが、「大利根河原の決闘」では、平手造酒は笹川一家に加勢します。笹川一家が飯岡一家を撃退しましたが、平手造酒は亡くなってしまいました。

 

いつか機会があったら、「天保水滸伝」の史跡巡りをしてみたいものです。