映画「波止場」(1954年)は暗い映画です。ニューヨークにある港湾マフィアのチンピラが、ひょんなことから組織に逆らい、組織に追い詰められていく苦悩を描いた作品です。しかしかつては諦めた夢をまたとりもどしていくという青春ドラマでもあります。

 

  舞台は、第二次世界大戦後のニューヨーク、マンハッタン島のハドソン川岸にある波止場。現在の波止場は、貨物船が岸壁に接舷でき、ほとんどの貨物はコンテナ化され、荷揚げや積みこみは機械化されております。しかしかつては、ほとんどの貨物は港湾労働者が荷役をやっていました。大型貨物船から貨物を荷揚げしたり、また積みこんだりするのは、多くの作業員を必要とする仕事だった。船側からすれば、接岸料が高いわけですから、短期間で荷役を終えて出港したい。荷役の作業は一時に集中する。そのため港湾荷役事業には元請けがおり、その下には多種多様かつ多数の下請け業者がおり、その下にはさらに三次、四次の孫請けがいる。手配師に人集めを依頼する。高賃金で体力勝負の労働現場には荒くれ者が集まってくる。そうするとそんな沖仲仕を仕切るギャングやマフィアが暗躍するということになる。こんなことはニューヨークに限らず、世界中のどこの港でも似たようなものだった。かつての横浜もそうだった。神戸では沖仲仕の人夫提供業から山口組が立ち上がった。そうするとヤクザ映画ができていくとい流れになり、アメリカでも「波止場」というマフィア映画ができました

 

  マフィアというのは、もともとイタリアのシチリア島が発祥の地です。イタリア半島は長靴をはいたような形をしており、石ころに躓いているみたいです。この石ころがシチリア島になります。ほぼ地中海の中心にあり、しかも穀物や果物が豊富であったため、古代より地中海を制覇する者はこの島を領有することが肝心でした。それゆえに長い歴史のなかで、シチリアほど主権者の代わった地はほかにありません。支配民族が次々に代われば、下層民は虐げられ、やがては肉親や友人しか信じられなくなります。政府への不信感があり、住民同士で互助組織を作り、支配者に抵抗していったのです。太宰治の小説「走れメロス」も映画「ゴッドファーザー」もこんな土地だから生まれてきたのです。

 

 イングランド人やドイツ人は18世紀から19世紀前半までにアメリカに渡って定着していました。それから遅れてイタリア系がアメリカに渡ってきました。すでにできあがったアメリカ社会に後発組として入ってきたイタリア人は社会の底辺に置かれることになりました。同郷出身者で協力関係を築くことになり、イタリア系移民の相互扶助組織からアメリカ・マフィアが発達していったのです。

 

 アメリカのマフィアは独特の発展を遂げます。禁酒法の時代には、各地の大都市でマフィアが勢力を拡大していきました。アル・カポネがシカゴでボスになりましたが、ナポリの出身です。「ボス」というのは、ギャング一般の首領で、シチリア系マフィアは「カポ」、ナポリ系は「ドン」と呼ばれます。マフィアの組織はピラミッド型で、ボスが運営している組織をファミリーと呼びます。ボスのすぐ下がアンダーボス(日本のヤクザの若頭)、この下に複数のカポ・レジーム(幹部、キャプテン)がいて、兵隊級の構成員がいます。さらにその下には「準構成員」がたくさんいます。マフィアは日本のヤクザに似ておりますが、ヤクザみたいに事務所を公然と構えることはなく、徹底した秘密組織です。マフィアには構成員に服従と沈黙を厳しく命じる「血の掟」があります。この掟を破ると、ファミリーを守るために、制裁が加えられます。これがかつてシチリアで生まれた抵抗組織が支配者から逃れるために編みだしたものでした。

 

 映画「波止場」で、主人公のテリーはジョニーが率いるマフィアの準構成員、その兄のチャーリーが構成員のようです。若いテリーは、ボクサーを目指しておりましたが、兄の指示で八百長をやり、それがバレてボクシング界から追放されてしまい、いまはしがない日雇いの港湾労働者です。テリーの仲間だったジョーイがジョニーの不正行為を裁判で証言することになり、ジョーイは血の制裁を受けることになり、テリーがジョーイの殺害に手を貸します。ここまではマフィア内部の問題ですが、ジョーイの妹イディが兄の死は殺人だと訴えます。当初は関心がなかったテリーはイディに惹かれるようになり、テリーはイディに真実を話します。イディは愛するテリーが兄を殺したことにショックを受けて去っていきます。またテリーが裏切りそうだという話はジョニーの耳にも入ってきて、兄チャーリーにテリーを始末するよう命じます。チャーリーはテリーを説得しますが、テリーは聞き入れません。やむなくチャーリーはテリーにピストルを向けます。

 

 このときのマーロン・ブランド(テリー役)の演技がすばらしい。テリーは怯えることもなく、ピストルを押さえ、「兄貴はなにもわかっちゃいないんだ!俺だって上流になれた。俺だってチャンピオンになれた。俺だって何者かになれたんだ、こんなろくでなしじゃなくて」みたいなことを言います。チャーリーはテリーの思いと覚悟を察して、なにもせずに帰っていきます。

 

 この台詞はもちろん、脚本にあったのでしょう。しかしどのように演ずるかは役者の技量です。本作は、悪徳ボスに支配されたニューヨークの波止場の実態を描いたルポ記事(新聞連載)をもとに、小説家のバッド・シュールバーグが脚本を書き、エリア・カザンが監督した作品です。1954年のアカデミー賞の作品賞など8部門を受賞しております。エリア・カザンは元々、ブロードウェイの舞台監督で、「欲望という名の電車」が大ヒットして、ハリウッドで同名の映画(1951年)も監督します。この作品では、舞台も映画もマーロン・ブランドが主役を演じました。「波止場」でもエリア・カザンとマーロン・ブランドが組んだ作品となり、マーロン・ブランドは主演男優賞を受賞しました。