映画「三人の妻への手紙」(1949年)はちょっとハラハラでしたけれども、コメディらしくハッピーエンドでした。三人の若妻は、デボラ(夫は上流だが妻は農家出身で社交クラブの付き合いに不安)、リタ(ラジオ・ドラマの脚本家で教師の夫より高収入)、ローラ(貧乏な出身から玉の輿、夫とはいがみ合い)ですが、妻たちは出かけているあいだ、それぞれの夫が憧れのマドンナであったアディと駆け落ちするのではないかと不安をもっていた。ようやく家に帰ってみたら、リタの夫は家にいた、ローラの夫は帰ってきた、デボラの夫は外泊だった。その夜に社交クラブに集まったとき、デボラは夫がアディと駆け落ちしたと言って帰ろうとした。そのとき、ローラの夫が、実は駆け落ちするつもりだったのは自分で、思い直して帰ってきたのだと告白する。それを知ったローラは、自分の夫が駆け落ちするものと諦めていたのだが、夫が自分を本当に愛してくれているとわかって素直になり、すべてを許してあげる、というところで映画は終わります。上映会場から拍手が湧き上がりました。いちばん危なっかしかったローラ夫妻が仲直りしたことへの祝福でしょうか。映画会の後にクレオールで感想を話しあった結果、この映画がいちばん言いたかったのは「幸せはそこにあるものよ」ということで一致しました。

 

 この映画には、三組の夫婦が登場します。百貨店を経営するポールはローラが大好きなのですが、一方ではどうせ財産目当ての女だと疑っている。デボラは夫が自分よりもアディが好きなのではないかと疑っている。リタはラジオ・ドラマの脚本家で教師の夫よりも高収入であることを気にしている。さてそれでは、この三夫婦のなかで、いちばんまともな夫婦はだれでしょう。私は、リタとジョージの夫婦だと思います。どうしてかというと、この映画の脚本家の分身だからです。リタが家に帰るとジョージは家にいて、夫がアディと駆け落ちしていなくてホッとします。脚本家の分身ですから、リタにいちばん優しい妻の役をやらせたのでしょう。

 

 脚本家は芸術性が高くて、上品な名作を書きたい。とはいえ、上品な脚本が売れることはめったになくて、脚本家はたいがい貧乏です。生活のために自分が書きたいものを諦め、観客やスポンサーの要求に合わせて俗受けする作品を書かなければならない。そうすると寝る暇もなく書き続けなくてはならない、ということになります。この映画では、脚本家のこの二つの面のうち、芸術性を夫のジョージに、金銭面的なものを妻のリタに分けておりました。夫婦で脚本家を演じていたのです。リタはスポンサーを自宅に招いて、なんとか夫にも金になる脚本の仕事をもらおうと画策するのですが、夫はラジオ・ドラマを低俗だと批判して、スポンサーと口論になってしまいます。スポンサーのマンレイ夫人が、大ヒット中のラジオ・ドラマの作家は32歳で不朽の名作を生んだと言い放ったとき、ジョージが、「キーツもマーロウも30歳前に有名になった」と言い返します。

 

 マーロウはエリザベス時代に活躍したイギリスの劇作家で、シェークスピアの先駆者とされています。キーツ(1795~1821)はイギリス・ロマン主義の詩人ですが、結核のため、イタリアで静養していました。このときに住んでいた家がローマのスペイン階段の横にありました。この建物は、現在ではキーツ・シェリー記念館となっています。スペイン広場は映画「ローマの休日」(1953年)にも登場します。ほとんどの方はオードリー・ヘプバーンがジェラートのコーンを捨てるシーンを記憶していると思いますが、階段に向かって右の方にある建物です(映画では遠景のときに、ぼんやり映っています)。10年ほど前に「ローマの休日」ロケ地巡りをしたとき、私はしっかり確認してきました。

 

 映画「ローマの休日」のなかで、ヘプバーンの演じるアン王女が、フォロ・ロマーノの横にある石のベンチの上で眠っているところを、新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)が心配して声をかけてあげます。するとアン王女が「この身は死すとも、そなたの声を聞かば、地をさまよいしわが心、喜びに震えん」と詩を口ずさみます。それからジョーが王女アンを自分の安アパートに連れていき、ベッドは一つしかないので、長椅子に寝るように言います。王女がまた詩を口ずさみます、「雪深き山のなかで、長椅子より立ちあがる。キーツ」と詩人の名を言うと、ジョーが、いやあれは「シェリーだ」と答えるシーンがありました。こんなシャレたセリフを役者に言わせるのが脚本家なのでした。

 

 「三人の妻への手紙」でリタの夫ジョージを演じていた役者はカーク・ダグラスでした。今年の9月に上映された「OK牧場の決闘」(1957年)では、早撃ちのギャンブラー「ドク」を演じておりました。